読書ノート / 社会
 2023/10/8
 公明党vs.創価学会(朝日新書) 
編・著者 島田裕巳/著
出版社 朝日新聞出版
出版年月 2007/6/13
ページ数 231
判型 新書判
税別定価 品切れ・再販未定(中古多数)
 宗教学者で作家・劇作家でもあり、創価学会研究者として知られる著者が、「公明党と創価学会は一心同体なのか」というテーマを分析した1冊です。
 各種ネット情報から、過去の国政選挙における公明党の得票数を調べてみると次のようになりました。多少の増減はあるものの得票数700万前後、得票率14%前後で推移しています。全体の投票率が上がると、公明党の得票率は下がり、逆に全体の投票率が下がると、公明党の得票率は上がるという傾向があります。創価学会の組織票に依存した公明党の性格を示しています。 
  比例区得票数 比例区得票率 投票率
2022/7/10参院選 6,181,43111.752.05
2021/12/14衆院選7,114,282 12.3855.93
2019/7/21参院選 6,536,33613.148.80
2017/9/28衆院選6,977,71212.5153.68
2016/7/10参院選 7,572,96013.554.70
2014/12/14衆院選 7,314,23613.752.65
2013/7/21参院選 7,568,08214.252.61
2012/12/16衆院選 7,116,47411.859.32
2010/6/16参院選 7,639,43213.157.92
2014/12/14衆院選 7,314,236 13.7 52.65
2013/7/21参院選 7,568,082 14.2 52.61
2012/12/16衆院選 7,116,474 11.8 59.32
2010/6/16参院選 7,639,432 13.1 57.92
2009/8/30衆院選 8,054,007 11.5 69.28
2007/7/28参院選 7,765,329 13.2 58.63
2005/9/11衆院選 8,937,620 13.3 67.46
2004/7/11参院選 8,621,265 15.4 56.54
2003/10/10衆院選 8,733,444 59.81
2001/7/22参院選  8,187,804 15.0 56.4
2000/6/2衆院選 7,762,032 13.0 62.49
1998/7/12参院選 7,748,301 13.8 58.8
1986/7/6参院選 7,438,501 71.3
1977/7/6参院選 7,174,459 68.49
選挙区得票数 選挙区得票率 投票率
1993/6/18衆院選 5,114,351  8.1 67.26
1983/12/18衆院選 5,745,751 67.94
1969/12/27衆院選  5,124,666 11.0 67.51
 ただ、得票数=創価学会の会員とストレートに考えることはできるのか、また、自民党支持者が比例区で公明党に投票するというのはありえるのかなど、多くの疑問も残ります。
 この点について、著者は次のように分析しています(179〜183ページ)。

 九〇〇万票のからくり
 衆院の比例区については、自民党の小選挙区の候補者が、公明党が選挙協力してくれていることの見返りに、選挙カーから「比例は公明」と連呼するようになった。それは、二〇〇〇年の選挙からはじまり、二〇〇三年の選挙では目立つようになり、一部でひんしゅくを買ったが、二〇〇五年の第四十四回衆院選では定着する。公明党は得るものが少なく、選挙協力は一方的だという指摘もあるが、これから見ていくように、実際には公明党も大きな利益を得ている。
 衆院の比例区で見た場合、公明党の得票数は、二〇〇〇年六月の第四十二回が七七六万二千票、○三年十一月の第四十三回が八七三万三千票、○五年九月の第四十四回が八九八万七千票となっている。二〇〇〇年はすでに連立を組んでおり、二回の選挙で、公明党は一二〇万票近く伸ばしている。
 衆院では、それ以前には比例区がなく、比較すべき数字が存在しないが、連立以降、創価学会の会員が一〇〇万人以上も増加した事実はない。一二○万票の大半は、自民党との選挙協力によるものと考えられる。
 参院で見た場合、連立を組む前の一九九八年七月の第十八回では七七四万八千票で、連立後の二〇〇一年七月の第十九回では八一八万七千票、○四年の第二十回で八六二万一千票だった。連立前の第十八回と連立後の第二十回を比較すると、八七万三千票増えている。
 衆院の場合、一九九六年十月の第四十一回は、公明党は新進党として選挙に臨んだ。その前の九三年七月の第四十回では、公明党の総得票数は五一一万四千票だった。これは、選挙制度が違うので、比較の対象にならないものの、参院の場合、新進党以前の九二年七月の第十六回では六四一万五千票だった。参院比例区(全国区を含め)で、公明党がもっとも多くの票を獲得したのは、一九八六年七月の第十四回で、そのときは七四三万八千票だった。それ以外、六〇〇万票台から七〇〇万票台で推移し、八九年の第十五回では六〇九万七千票しか獲得できなかった。
 このように見ていった場合、連立以前には、公明党の全国での得票数は上限で七五〇万票だった。だとすれば、連立によって一五〇万票近く増やしたことになる。それは、自民党の選挙協力の賜物だと言える。
 衆院の比例区で、連立を組んで以降、二一〇万票増えていることを考えると、二〇〇〇年の選挙ではすでに選挙協力の効果があらわれていたはずで、七七六万二千票のうち、かなりの票が自民党から流れている可能性がある。ならば、公明党は選挙協力で、やはり一五〇万票以上上積みしているのではないだろうか。

 意外に少ない学会員の実数
 この数字は、別の面からも裏づけられる。創価学会の会員数から考えるのである。
 創価学会の会員が、いったい何人いるかということははっきりしない。現在、創価学会では、世帯数で会員数を発表し、その数は、二〇〇五年十一月に発表された数字では、人口のニパーセント、二五六万人という数字がはじき出された。そのなかには、成人に達しない未成年者も含まれるわけで、有権者は二〇〇万人を超え、二二〇万人くらいだろう。選挙の際には、会員一人あたりF取りによって外部から二・五票の票を稼ぎ出してくるとも言われる。二二〇万に二・五を掛けると五五〇万で、それに会員数である二二〇万を足すと七七〇万という数字が出てくる。これは、連立以前の参院における公明党の得票数にほぼ合致する。これに自民党からの票を足せば、十分に九〇〇万票近い数になる。
 これが、公明党、創価学会が自民党と組むことで実現した選挙の実態である。数字が正確だとは断定できないものの、全体の構図は間違っていないと思われる。少なくとも、創価学会の会員が八〇〇万人や九〇〇万人もいるわけではない。自民党から流れた票を引いた部分についても、学会員の積極的な選挙活動が生み出したもので、学会員の実数は票に比べてかなり少ないはずである。 

 確かに、この本が出版された2007年6月の時点では、自公協力の効果からか、公明党の比例区得票が一挙に急増していました。しかし、その後、公明党の比例区得票は急激に減少し、2000年以前の水準に戻ってしまいした。自民党が票をまわさなくなったのでしょうか。あるいは公明票が減ったのでしょうか。それとも、その両方なのでしょうか。
 ところで、そもそも、自民党が公明党に票を回すということが有り得るのでしょうか。
 沖縄の4つの衆議院小選挙区の自民候補(公明が推薦)の得票は、次のようになっています。
  1区  2区  3区  4区  計 
2021年 54,532 64,542 87,710当 87,671当 294,455
2017年 54,468  64,247 66,527 82,199当 267,441
2014年 53,241  52,156 59,491  65,838  230,726
2012年 65,233当 55,373 68,523当 72,912当 262,041
 一方、衆議院選九州ブロックの沖縄地区の自民党と公明党の得票は次のようになっています。
2012年 2014年 2017年 2021年
自民 124,149 141,447 140,960 147,517
公明 103,720 88,626 108,602 129,467
計  227,869 230,073 249,562 276,984
 2014年11月16日の沖縄県知事選では、公明党は、自民党の推薦する仲井真弘多知事を支持せず、自主投票としました(公明党 知事選は自主投票)。2014年12月14日の衆院選には、この影響が出たものと思われます。2014年の選挙では、公明党は、得票を大きく減らしていますが、知事選での方針変更に戸惑って、棄権した支持者がいた可能性がありますし、公明党の協力が得られなかった自民党が票を回さなかった可能性もあります。なお、2014年の選挙では、維新の下地候補が辺野古移設に反対を表明したため、維新票は自公候補に流れなかったものと思われます。その後の選挙では、自公維vsオール沖縄の構図となっています。
 公明党の国会議員は、衆議院と参議院でそれぞれ30人前後で、衆議院の小選挙区議員は3分の1ほど、参議院の選挙区議員は半分ほどです。
 つまり、多くの衆議院小選挙区と参議院選挙区では、公明党は候補を擁立していません。その選挙区の公明票を回してもらえれば、自民候補は圧倒的に有利となります。特に沖縄では自民党は弱いので、オール沖縄の候補者調整が機能している限り、公明党の協力がなければ、選挙区での当選は困難です。
 一方、その見返りとして、公明党が強い選挙区で候補者を立てる場合、自民党が候補者を立てず、支持者の票を回せば、公明党候補者の当選が可能となります。公明党とは違って、自民党の場合は、すべての支持者が党の決定に従うとは限りませんが、少なからずの選挙区で、公明党の候補が当選していることを考えれば、自民票の何割かは公明候補に流れていることは考えられます。

 ところで、「創価学会は戦前、戦争に反対したため弾圧された」という話もありますが(創価学会の公式サイトではそのような記述は見当たりません)、著者は「創価学会(新潮新書)」(37〜39ページ)では、弾圧のいきさつを次のように説明しています。
 ところが、戦時体制のもとで宗教団体への統制や規制が強化されるなか、創価教育学会もその対象となっていく。牧口は、国家の宗教統制政策として押し進められていた宗派の合同によって日蓮正宗が日蓮宗と合同することに反対した。また、伊勢神宮から配られる皇大神宮の神杜、「神宮大麻」を拝むことを拒否し、さらにはそれを焼却させた。
 日蓮正宗では、入信に際して、他宗教や他宗派の本尊や神札、神棚、祠、経典、護符などを取り払い、それを焼き払う「謗法払い(ほうぼうばらい)」が行われており、牧口はその教えに従って神宮大麻を焼却させたかのように見える。
 しかし牧ロは、戦前の体制のもとで、宗教にあらずとして一般の宗教とは区別された「敬神崇祖」の道を、日蓮仏法に背く諸法としてすべて否定したわけではない。第五回総会での全員座談会において、牧口は、靖国神社へ参拝する意義を説き、それがご利益を得るためのものではなく、感謝のこころをあらわすものである点を強調した。現在の創価学会は、首相の靖国神社参拝に反対の姿勢をとっているが、それは牧口以来一貫しているとは言えないのである。
 さらに牧口は、天照大神や代々の天皇に対して、「感謝し奉る」と言い、昭和天皇を現人神として認めた上で、「吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる」とさえ述べている。では、なぜ神宮大麻を拝むことを拒否するかと言えば、それは、天皇とともに天照大神を祀ることは二元的になり、天皇に帰一したことにならないからだというのである。
 牧口は、現人神としての天皇を崇拝するという当時の風潮を否定しておらず、むしろ純粋な天皇崇拝を確立するために、神宮大麻を焼却したのだった。彼は、その行為が皇室を冒涜するものになるとは考えなかった。ところが、日蓮正宗の宗門の側では、牧口らを本山に呼び、神宮大麻を受け入れることを勧め、創価教育学会員の大石寺への参詣を禁止したが、牧口はその勧告を受け入れなかった。
 当時においては、極端な天皇崇拝を強調する動きは危険思想として取り締まりの対象になった。一九三五年に二度目の取り締まりを受け、教団施設を破壊された大本教がその代表である。牧口の場合には、一九四一年に全面改正された治安維持法の第七条にある「国体ヲ否定シ又ハ神宮若ハ皇室ノ尊厳ヲ冒涜スベキ事項ヲ流布スル事ヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者」にあたるとして、一九四三年七月六日に逮捕、起訴された。
 また、志茂田景樹は「折伏鬼」という小説(読書ノート/折伏鬼)の中で、2代会長(当時は理事長)戸田城聖(作中では多田皓聖)が戦時中入れられていた豊多摩刑務所の元看守の話として次のようなエピソードを紹介しています(84〜85ページ)。
「退官して十何年もたつんだし、あの人も死んでもう十九年か。いまさら話すこともないなあ」と、多少、抵抗を見せながらも、ぽつりぽつりと語り出した。
「あの人はおもしろい人でなあ、正座して、おっそろしい声で唱題していたかと思うと、つぎの瞬間にはごろんとひっくりかえって、都々逸をのん気にうなっていた。わしはよく注意したもんだが、担当さん担当さん、と妙に人なつっこいところがあってねえ」
「でも、悟りを得てからは、神がかっていたんでしょう?」
 と、わたしが訊くと、        
「悟り? あの人が悟る、なんてことがあったかなあ。むしろ、そういうのとはまったく縁遠いタイプに、わしには見えたが」
 Sさんは首をかしげて、浮きに目を凝らした。
「軍部に徹底して反抗」た信念の人だと言われていますが」
「そうかねえ。獄死したほうで山口さんか、あの人は信念家のようだったが、多田さんはどうかなあ。神札もちゃんと祀る、お伊勢さんにも参拝する、と誓約したのにぶちこまれた?て、わたしに泣きごとを言ったこともあったくらいだから」
「おっ」
 わたしがうなり声のような嘆声をあげたのは、多田についていままで見おとしていた部分、もしくは、見ることのできなかった部分をあきらかにしてくれる鍵が、Sさんのそのことばのなかにあったからである。
 「だいたいだな、聖護道会グループなんか、検事当局はそんなに重大に見ていたわけじゃなかったからねえ。一斉検挙は見せしめのおどしのようなもんで、全員、すぐ釈放したってよかったんだろうが、ま、会長で理事長と役がついちゃってるとねえ。やっ……」
 ただ、初代会長と2代会長が必ずしも反戦を唱えたから弾圧されたわけでもなかったとしても、そのように認識している創価学会員も多くいるでしょうし、反戦平和の党と思うからこそ、熱心に集票活動を行ってきたという面は否定できないように思われます。
 さて、公明党と創価学会は今後どのような方向に向かうのでしょうか。