したがって、A級戦犯の合祀を否定するためには、パール判事の論拠を否定しなければなりませんが、それは容易ではないでしょう。結局、東京裁判は国家の犯罪を裁いたものであるから、刑罰不遡及の原則は適用されないし、「通例の戦争犯罪」についても国家の指導者には重い防止義務があったとでもするほかないでしょう。 ただ、死刑となったBC級戦犯は、国家に命じられて戦争犯罪を犯さざるをえなかったという一面があるのに、それを命じた側の国家指導者が無罪であるというのはいかにも不条理であるという思いが日本国民一般にあり、結論としては東京裁判は妥当なものであったという認識があるように思われます。さらに、特攻や玉砕という集団自殺を強制した国家指導者は何らかの処罰を受けるべきだという思いもあるでしょう。 また、アジア諸国を侵略した日本が国際社会に復帰するためには、いわば贖罪の儀式として東京裁判による有罪判決が必要であったともいえるように思われます。 以上のように、この本は、東京裁判の意味をいろいろと考えて見るきっかけを与えてくれました。 「パール判決書」を援用した「大東亜戦争肯定論」については、「日本無罪論―真理の裁き (1952年)極東国際軍事裁判所言語部(著)田中 正明(編集)おいてはパール判事の主張を正確に紹介していた田中正明氏が、その11年後に出版した田中正明著「パール判事の日本無罪論」(1963年、2001年復刊)では意図的な改竄を行っていると、次のように指摘しています(193〜195ページ)。
以上のように、著者は大東亜戦争肯定論を厳しく批判し、「近年の右派論壇」について次のように述べています(299ページ)。
では、なぜ保守派が右派論壇を批判しているのでしょうか。 著者の言葉によると、「過去の一点に戻れば理想社会になるとも、未来に理想的な社会をつくれるとも考えない。そういう立場を保守というんだと、僕は考えているんです。」とあります。つまり、保守とは、一定のイデオロギーを持たない立場ということでしょうか。そして、保守派の政治家として石橋湛山については、高く評価し、そして「僕自身も、保守であるがゆえに大東亜戦争をそう簡単には肯定できません。一方で、全面的な否定はしないし、……東京裁判は茶番劇だとも思います。でも、基本的にはやっぱりおかしな戦争だと思う、それが保守というもののまともな立場であって、保守だから大東亜戦争肯定論になるとは到底思えないんです。」と述べています(マガジン9条>この人に聞きたい『中島岳志さんに聞いた』その1)。すなわち、リベラル保守の立場から、右派の大東亜戦争肯定論を批判していると思われます。 なお、著者は「戦略的な9条保持」の立場だそうです(マガジン9条>この人に聞きたい『中島岳志さんに聞いた』その2、マガジン9条>中島岳志×鈴木邦男 〜リベラル保守×新右翼〜 )。 |