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 2012/10/7
 パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義 amazon
編・著者  中島岳志/著
出版社  白水社
出版年月  2007/7
ページ数  309 
判型  19.2 x 13.8 x 3.4 cm
税込定価  1890円 
 東京裁判においてA級戦犯の無罪を主張したパール判事の反対意見は、日本の戦争責任を否定する論者からしばしば引用されています。しかし、パール判事の真意は次のようなものであったと、この本の著者は指摘しています(296〜298ページ)。つまり、「法的には責任を問えないものの、道義的には日本に戦争責任はある」とし、大東亜戦争を肯定はしていないというのです。そして、「第三章 パール判決書」で全体の4分の1の紙数を費やして、意見書を詳細に検証しています。  
 第三章で詳しく述べたように、パールは東京裁判の構造を痛烈に批判したものの、日本の指導者たちは「過ちを犯した」と明言し、刑事上の責任とは別の道義的責任があることを示している。彼は張作霖爆殺事件から満州事変、日中戦争へ至るプロセスを、日本の行動に批判的な見地から検証し、その行為を問題視した。しかし、日本の指導者たちの間には、検察が起訴状で主張した「全面的共同謀議」など存在しなかったとし、連合国側の論拠の不当性を追求した。
 また、「平和に対する罪」「人道に対する罪」は国際法には存在しない事後法的性格のものであり、この犯罪を認定することは罪刑法定主義の原則からの逸脱であると説いた。彼は、政治的意図が法の原則を蔑ろにすることこそ、侵略戦争の再発につながると訴え、その行為を「反文明」的であると批判した。
 一方で、彼は「通例の戦争犯罪」を東京裁判で裁くことについては、これを積極的に容認した。彼は「南京虐殺事件」や「バターン死の行進」をはじめとする日本軍の「残虐行為」を事実と認定し、「鬼畜のような性格」をもった行為として断罪した。しかし、東京裁判にかけられたA級戦犯が、これらの残虐行為を指示したり、事件拡大化の防止を怠ったという証拠は確認できないとして、「被告人に刑事上の責任は問えない」という認識を示した。
 パールは、決して「日本無罪」と主張したわけではなかった、彼が判決書の中で主張したことは「A級戦犯は法的には無罪」ということであり、指導者たちの道義的責任までも免罪したのではなかった。まして、日本の植民地政策を正当化したり、「大東亜」戦争を肯定する主張など、一切していない。彼の歴史観によれば、日本は欧米列強の悪しき「模倣者」であって、その道義的責任は連合国にも日本にも存在すると見ていたのである。
 この点を理解せず、「パール判決書」の言葉を都合よく切り取って、「大東亜戦争肯定論」に援用することは、断じて避けなければならない。 
 しかし、真意がそのようなものであったとしても、東京裁判の正当性を否定しているという意味では、パール判事の主張は右派の論者にとっては都合のよいものであることには変わりはないように思えます。どのような論理構成であったにしても、A級戦犯を無罪としていることには違いはなく、無罪であるA級戦犯を靖国神社に合祀することになんら問題はないことになるからです。
 したがって、A級戦犯の合祀を否定するためには、パール判事の論拠を否定しなければなりませんが、それは容易ではないでしょう。結局、東京裁判は国家の犯罪を裁いたものであるから、刑罰不遡及の原則は適用されないし、「通例の戦争犯罪」についても国家の指導者には重い防止義務があったとでもするほかないでしょう。
 ただ、死刑となったBC級戦犯は、国家に命じられて戦争犯罪を犯さざるをえなかったという一面があるのに、それを命じた側の国家指導者が無罪であるというのはいかにも不条理であるという思いが日本国民一般にあり、結論としては東京裁判は妥当なものであったという認識があるように思われます。さらに、特攻や玉砕という集団自殺を強制した国家指導者は何らかの処罰を受けるべきだという思いもあるでしょう。
 また、アジア諸国を侵略した日本が国際社会に復帰するためには、いわば贖罪の儀式として東京裁判による有罪判決が必要であったともいえるように思われます。
 以上のように、この本は、東京裁判の意味をいろいろと考えて見るきっかけを与えてくれました。

 「パール判決書」を援用した「大東亜戦争肯定論」については、「日本無罪論―真理の裁き (1952年)極東国際軍事裁判所言語部(著)田中 正明(編集)おいてはパール判事の主張を正確に紹介していた田中正明氏が、その11年後に出版した田中正明著「パール判事の日本無罪論(1963年、2001年復刊)では意図的な改竄を行っていると、次のように指摘しています(193〜195ページ)。   
 田中が本書に付した解説文は、同人が一九六三年に出版した『パール博士の日本無罪論』(二〇〇一年に小学館文庫から復刊)よりもはるかに正確で、都合のよい解釈・省略が少ない。
 田中はこの解説文で、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」の事後法的側面を指摘した上で、次のように述べている。

 この裁判とは別に、われわれは冷静に反省してみて、たしかに日本には侵略戦争の意図も実 践もあつたと思う。しかしそれが日本の過去五十年間の全部ではない。(中略)ともあれパール判事は、半世紀おくれて日本が頭をもちあげた時には、司法先進国の旗にかこまれていたと述べ、日本は先進国の模倣をするのに半世紀後れた。そのために、アジアからも歓迎されず、また先進国からも叩かれたのである。という意味のことを論じている。   
 [田中一九五二:一二−一三]
  
 田中はのちに、「パール判決書」を利用しつつ独自の「大東亜戦争肯定論」を展開するが、このときは、「日本には侵略戦争の意図も実践もあつた」とした上で、日本は西洋先進国の「模倣」をし、アジアと西洋諸国から反発を受けたというパールの議論を紹介している。
 また、「パール判事は、結論として、盧溝橋事変以後の敵対行為を含めることが妥当であろうという見解をのべている」とし、パールが日中戦争以降を東京裁判の管轄とした点を正確に紹介している。しかし第三章でも言及したが、田中は一九六三年出版の『パール博士の日本無罪論』において、次のような改竄を行っている。

 パール博士はこの点を指摘して、「本裁判所における管轄権は、一九四一年一二月七日以降、日本降伏までの間に起きた、いわゆる太平洋戦争中の戦争犯罪に対してのみ限定すべきである」と主張するのである。   
 [田中二〇〇一:一六五]

 一九五二年の段階で正確な記述をしていたものが、一一年後の出版時にわざわざ改窟された背景に、どのような田中の意図があったのかはわからない。しかし、少なくとも一九五二年の時点で、田中は「パール判決書」の議論をほぼ正確に読解し、それを率直に紹介していたことは事実である。
 また、田中は南京虐殺に関するパールの記述も、概ね正確に紹介している。

 「よしんばこれらの事件が、検察側の主張どおりでないにしても、日本軍隊に虐殺行為のあつたことは、まぎれもない事実である。」しかし「問題は、いまわれわれの目の前に居ならぶ被告に、かかる行為に関するどのていどの刑事的責任を負わせるか、ということである」と。
 パール判事によれば、それらの悪事を働いた直接の下手人は、この直属上官とともに連合国の裁判でさばかれ、おびただしい兵隊が断罪に服しているではないか、と。  
 [田中一九五二:二八]

 田中はのちに「南京虐殺はなかった」という説を繰り返し主張するが、このときはパールの主張を意図的に割愛せず、「日本軍隊に虐殺行為のあつたことは、まぎれもない事実」という部分を冷静に引用している。
 他の箇所でも、いくつかの間題はあるものの、その紹介は概ね正鵠を射ている。一九五二年段階で「パール判決書」の骨子は、「日本無罪論」というミスリーディングなタイトルを除いて、ほぼ正確に伝えられたと見てよいだろう。

 以上のように、著者は大東亜戦争肯定論を厳しく批判し、「近年の右派論壇」について次のように述べています(299ページ)。
 近年、パールの言説を利用する右派論壇は、このようなパールの思想を一切無視している。彼が日本に対して発した渾身のメッセージから目を逸らし、都合のいい部分だけを切り取って流用している。
 パールは、日本人に対して真の自立と独立を訴え続けた。戦争が終わるや否やアメリカの覇権主義を全面的に擁護し、無批判に追随する日本人に対して「自分の眼、自分の頭でものごとを判断していただきたい」と訴えた。
 原爆投下の責任も問えず、アメリカの顔色を伺い続ける日本。東京裁判を忘却のかなたに追いやり、アメリカ依存を深める日本。朝鮮戦争をサポートし、再軍備を進める日本。
 彼の厳しい指摘は、現在の目本にこそあてはまるだろう。
 ――アメリカ追随を深め、イラク戦争をサポートし、憲法九条の改変に突き進む二一世紀の日本。
 パールが生きていれば、このような現状をどのように評するであろうか?
 彼の残したメッセージは、近年の右派論壇にこそ突きつけられている。
 このような論調からは、著者は左派的な護憲平和主義者のようにも取られますが、著者自身は保守派を自認しています。この本でも、太平洋戦争の開戦責任は主に連合国側にあるというパールの指摘(ABCD包囲網?)を紹介したり(190〜191ページ)、ボース(軍国主義の協力者として批判もある、新宿中村屋にインドカリー伝授)の墓参りの様子を伝えたり(229〜230ページ)と、いわゆる左派的な思考とは少し距離があるようです。
 では、なぜ保守派が右派論壇を批判しているのでしょうか。
 著者の言葉によると、「過去の一点に戻れば理想社会になるとも、未来に理想的な社会をつくれるとも考えない。そういう立場を保守というんだと、僕は考えているんです。」とあります。つまり、保守とは、一定のイデオロギーを持たない立場ということでしょうか。そして、保守派の政治家として石橋湛山については、高く評価し、そして「僕自身も、保守であるがゆえに大東亜戦争をそう簡単には肯定できません。一方で、全面的な否定はしないし、……東京裁判は茶番劇だとも思います。でも、基本的にはやっぱりおかしな戦争だと思う、それが保守というもののまともな立場であって、保守だから大東亜戦争肯定論になるとは到底思えないんです。」と述べています(マガジン9条>この人に聞きたい『中島岳志さんに聞いた』その1)。すなわち、リベラル保守の立場から、右派の大東亜戦争肯定論を批判していると思われます。
 なお、著者は「戦略的な9条保持」の立場だそうです(マガジン9条>この人に聞きたい『中島岳志さんに聞いた』その2マガジン9条>中島岳志×鈴木邦男 〜リベラル保守×新右翼〜 )。