本書の目次は次のようになっています。
「第T部 ドキュメント ダイエー攻防――機構か民間か揺れた舞台裏」は、2004年10月13日に、ダイエーが産業再生機構の活用を応諾するまでの経緯を、ドキュメントタッチでかなり詳細に記述しています。 民間「企業再生ファンド」を活用したいダイエーとそれを支援する経済産業省、産業再生機構の活用を迫る銀行3社とそれを主導する金融庁、これら両陣営の駆け引きがぎりぎりまで続きます。 この間の事情を、『産業再生機構』とは何か/松室猛のTMニ水会定例講演資料は次のように解説しています。
「第U部 修正続きの再建計画――迷走の真実」では、ダイエーの転落の経緯がかなり詳しく説明されています。特に「終わりに――ダイエーとはどんな存在だったのか」に、ダイエーの半世紀の歩みが次のように(297〜300ページ)簡潔にまとめられています。
本書は、再生機構の支援が決まったところで終わっています。その後、ダイエーはどうなったかというと、丸紅が支援スポンサーとなり、その後2007年に、丸紅、イオン、ダイエー3社間で資本・業務提携合意が成立します。さらに、2013年3月には、TOB(株式公開買い付け)によって、イオンはダイエーへの出資比率を現在の19.85%から44.23%以上にまで高め、ダイエーの過半数を占める役員をイオン側から指名すると発表しました。つまり、ダイエーはイオンの子会社となります。 結局、産業再生機構による再建計画はうまく機能しなかったわけで、イオンの岡田社長は「トゥービッグ・トューフェイル(大きすぎて潰せない)ということで、産業再生機構の下で再生をする当初の選択が間違っていた」「結局は誰が責任者なのかということ。それがはっきりしないことが続いた」と述べています(イオン、産業再生機構への“恨み節”/東洋経済オンライン)。 さらに、イオンの専務執行役がダイエー社長に就任しましたが、次の記事が示すように、「5期連続で最終赤字を垂れ流しているダイエーを再建するのは容易なことではない」ようです。
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