読書ノート / 通史
 頼朝を絶賛、武士が主役の中世史 

 物語日本史(中) (講談社学術文庫)
編・著者  平泉澄/著
出版社  講談社 
出版年月 1979/2/10
ページ数 254 
判型  A6版
税別定価 738円
 著者の平泉澄(ひらいずみきよし、1895〜1984)は、元東京帝国大学教授で専門は日本中世史です代表的な皇国史観の歴史家とされており、戦後は厳しい批判にさらされます。しかし、1978年にインタビュー受けた際、突然日本刀を抜き放ち、「大和魂とは、これです」と言ったそうですから(「皇国史観」平泉澄 晩年のインタビューのエピソード オーラルヒストリーは大変という話)、批判には負けず、自説を貫き通したようです。
 本書は、同じ著者による「少年日本史」(皇學館大学出版部)を3部に分割した文庫版の中巻です。「少年日本史」はこちらのサイトで読むことができます。文庫版ではやや難しい漢字が平仮名に置き換えられている以外は、内容は同じものです。以下、本書の引用はこちらのサイトを利用させてもらいました。
●院政は変態  
 著者は、次のように(34ページ) 、院政は変態であって、国家組織の上から云って、決して良い事ではないとしています。また、院政は、後三条天皇の考えではなく、目的は藤原氏を押さえるにあったのではないとしています。
 白河天皇は御在位十四年、堀河天皇に御位をお譲りになり、それより堀河・鳥羽・崇徳三天皇の御代にわたって、凡そ四十三年の間、院中で政をおとりになりました。天皇はいわば皇太子の如く、上皇が実質上の天皇として政治をおとりになる、之を院政と云います。それは変態であって、国家組織の上から云って、決して良い事ではありません。それを世間では、後三条天皇がお考えになった事だとし、目的は藤原氏を押さえるにあったなどと云っている者もありますが、二つとも見当はずれ、後三条天皇にはそのようなお考え全然無く、また藤原氏抑圧を目的としたものでもありません。それは不幸なる皇室内部の勢力争いから起こったものでした。
 NHK高校講座日本史 院政と荘園では、次のように、院政は白河天皇の個人的理由によって始まったとしています。


●軍記物語が中心 
  本書の内容は次のようになっています。御三条天皇や後醍醐天皇以外の朝廷関係者はほとんど登場せず、源義経、源頼朝など武士を主役とする軍記物語が中心となっています。著者は基本的には、武士=軍人が好きなようです。
32.藤原氏の全盛
33.八幡太郎義家
34.御三条天皇
35.院  政
36.保元の乱(上)
37.保元の乱(下)
38.平治の乱
39.平家の全盛
40.源三位頼政
41.平家の都落
42.源義経(上)
43.源義経(下)
44.源頼朝(上)
45.源頼朝(下)
46.承久の御計画(上)
47.承久の御計画(下) 
48.北条時宗
49.後醍醐天皇
50.楠木正成
51.建武の中興
52.吉野五十七年(一)
53.吉野五十七年(二)
54.吉野五十七年(三)
55.吉野五十七年(四)
56.室町時代

●頼朝を絶賛、北条・足利を酷評・罵倒 
 著者は、次のように(141ページ)、源頼朝を絶賛しています。
 この時、日本国の運命は、頼朝一人の双肩にかかっていました。彼の思想、信念、そ の一挙一動は、天下の人々、仰いで之に注目していました。従って若しも彼にして国柄 をわきまえず、朝廷に対して傲慢であり、伊勢大神宮に対して不遜であったならば、武 士共は皆之にならい、失礼を働いたかも知れない情勢でありました。しかるに頼朝は、 跪いてうやうやしく勅命を承り、いかに困難な事でありましても、勅命とあれば必ず奉 仕させていただきますとお誓い申し上げ、そして勅命に従わない武士に対しては、「日 本国から出て行け」と、厳然として言い放ったのであります、この一言は、国家の本質 を安定して、微動もさせない力をもっていました。そしてその拘束力は、源氏三代の間 だけでなく、鎌倉幕府全体に及び、それどころでなく、足利も、徳川も、皆頼朝を模範 として起ったもので、頼朝の前には頭があがらなかったのですから、室町幕府も、江戸 幕府も、大局から見れば頼朝の指導拘束を受けたと云ってよく、従って幕府と云うもの 、変体は変体ながら、日本国の本質を変えるに至らなかったのは、頼朝のあのすばらし い一言によると云ってよいでしょう。
 また、文永・弘安の役に対処した時宗以外の北条氏は、次のように(173〜174ページ)、「尚武と残忍との性格のみ伝えたもの」と酷評しています。
 司令官があわてたり、恐れたりしては、話になりません。船では船長、飛行機では機長、そして幕府では執権、これが大切なのです。文永・弘安二回の大国難に当たり、時宗が執権の座にあった事は、日本国の大幸でありました。北条氏九代、時政より高時に至り、よくない人物つづきました中に、ひとり時宗は、大国難に遭遇して、よく国防の重責を果たし、北条一門の罪を償おうとしました。かえりみれば源氏は、尊王と尚武との二つの長所と、残忍刻薄と云う欠点とをもっていました。その中から尊王を抜き去って、尚武と残忍との性格のみ伝えたものが北条氏でありました。その北条九代の中で、日本国の為に貢献するところの大きかったのは、時宗でありました。彼にもまた、弟を討つと云う欠点はありましたが、元の来襲を撃退した事は、大きな功績としなければなりません。
 さらに、足利氏については、次のように(248〜249ページ)罵倒しています。
 彼らには道徳がなく、信義がなく、義烈がなく、情愛がないのです。あるものは、ただ私利私欲だけです。すでに無道であり、不信であり、不義であり、非情であれば、それは歴史においてただ破壊的作用をするだけであって、継承及び発展には、微塵も貢献をすることはできないのです。
 歴史上の人物は、いわば将棋の駒であって、どのように活動し、その時代にどのような影響を及ぼしたかが歴史学上は重要であって、徒に感情移入して怒ってみても仕方ないように思えます。著者のような激情家が教授であっては、当時の学生は随分難儀したのではないでしょうか。
(2015/9/16)