読書ノート / 通史
 琉球と明清の交流記録のデータベース

 中国と琉球人の移動を探る 明清時代を中心としたデータの構築と研究(琉球大学 人の移動と21世紀のグローバル社会) amazon
編・著者  赤嶺守・朱徳蘭・謝必震/編
出版社  彩流社
出版年月  2013年3月31日
ページ数  592 
判型  21.9 x 16.1 x 4.4 cm
税込定価  5250円 
 本書は、タイトルにあるように、冊封使(明清⇒琉球)、進貢・留学(琉球⇒明清)など琉球と明清の交流記録についての、600ページ近い分量のデータベースです。各章の冒頭に数ページの紹介文が付いていますが、ほとんどが交流記録のデータ集で、研究者を対象とした専門書と言って良いでしょう。
 琉球王国の外交文書としては「歴代宝案」が有名ですが、その原本が失われた経緯(いきさつ)と復元作業の現状が、次のように詳細に紹介されています(455〜456ページ)。
 中国を統一した明の太祖洪武帝の招諭を受け、1372年に中山王察度が泰期を派遣して進貢し、その後歴代の国王が中国の冊封を受けたことによって、琉球は中国を宗主国とする進貢・冊封体制の中に編入された。こうした中国との宗属(宗藩)関係は明治期の「琉球処分」で琉球王国が解体されるまで500余年も続き、首里王府には中国皇帝から下された詔書や勅書、あるいは琉球国王から中国皇帝に差し出した表文や奏文の写し、福建布政使司や礼部との間で進貢や冊封そして漂着難民の送還等の問題に関してかわされた咨文など、多くの文書類が存在していたと思われる。そうした文書を体系的に編集したのが『歴代宝案』であるが、『歴代宝案』は1424(明・永楽22)年から1867(清・同治6)年までをカバーする同時代史料で、上記の詔書・勅書・表文・奏文・咨文以外に渡航証明書の類の執照・符文といった文書を網羅的に収録している。『歴代宝案』は二部作成され、首里王府と久米村(唐営)の天妃宮にて保管されていた。
 1879(明治12)年に、琉球王国は明治政府によって解体され、「琉球処分」という形で強制的に日本の国土に編入され、国家としての終焉をむかえるが、王国を解体した際に、政府は首里城に保管されていた多くの王国史料を没収している。没収された王国史料の中には、中国との外交関連文書が多く含まれ、『歴代宝案』も当然その中に含まれていた。没収された王国史料は、その後内務省の書庫に保管されていたが、1923年の関東大震災でそのほとんどを焼失している。その際に、王府の『歴代宝案』も焼失したとされている。
 一方、久米村所有の『歴代宝案』は「琉球処分」後、長く秘密文書として扱われ、久米村の旧家を転々とし隠匿されていた。1931(昭和6)年に王国時代の法制史料を探していた商業学校の教師仲元英昭によって、偶然、神村家の書棚に埃にまみれて保管されていることが判明した。これは琉球王国の対外関係史研究を推進する意味でセンセーショナルな大発見であった。その後、『歴代宝案』は県立図書館に寄託され、県立図書館では副本を作成して、それを一般に供覧させていた。戦前、この『歴代宝案』は日本の南進政策ともからみ、琉球王国の対外陶係史研究の一大ブームをつくり、小葉田淳著『中世南島通交貿易史の研究』、伊東忠太・鎌倉芳太郎著『南海古陶瓷』、秋山謙蔵著『日支交渉史研究』、東恩納寛惇著『黎明期の海外交通史』、安里延著『日本南方発展史』といった多くの研究成果を生み出している。
 第二次世界大戦の勃発で那覇が激しい空襲に見舞われたことから、県立図書館は重要資料を、戦禍をのがれるため沖縄本島北部の源河に移している。『歴代宝案』もそこに移されたが、北部も戦禍に巻き込まれ、唯一残された『歴代宝案』の原本を失っている。だが、沖縄戦の犠牲となった久米村本については、幸いなことに台湾大学に写本が残されていた。台湾大学の前身は日本の植民地統治下の台北帝国大学で、『歴代宝案』が公開された当時、同大学文政学部で明代を中心とする日中交渉史を研究していた小葉田淳が、この稀有の外交文書に注目した。小葉田が久米村本の写本の作成に乗り出し、久場政盛によって筆写された『歴代宝案』を文政学部の研究室に保管していたのである。
 1962(昭和37)年に、台湾大学はこの『歴代宝案』の写本をマイクロ化してハーバード大学、ロンドン大学、ハワイ大学、東洋文庫そして琉球大学に寄贈している。東洋文庫では早速、和田久徳氏・神田信夫氏を中心に「歴代宝案研究会」を発足し、海外研修で来日していたマイクロ化に関わった台湾大学の曹永相氏も参加して『歴代宝案』研究が始まった。その後、1972年に、台湾大学が『歴代宝案』一集・二集・三集(全15冊)を同時刊行すると、多くの国内外の研究者の注目するところとなり、『歴代宝案』が再び明清時代の対外関係史、とりわけ中琉関係史研究の基本史料として活用されるようになる。台湾大学収蔵の『歴代宝案』の写本はカバーしている時代の長さ、収録文書の数の多さにおいて他に類を見ない写本であるが、『歴代宝案』原文書の全てをカバーしているわけではなく、写本ゆえに誤写も少なくない。沖縄県教育委員会の史料編集室(以下、申料編集室と略称する)では、1989年(平成元年〉から20数年の長期計画のもとに、台湾大学の写本や国内に残存するその他の写本や影印本を照合して、『歴代宝案』の校訂本や訳注本を刊行する編集事業をスタートさせている。影印本にしても、戦前の青焼きの段階ですでに虫食いなどによって原本に文字や文の欠落があり、校訂作業では中国や台湾側に残されている同時代の行政文書である档案史料の収集が必要とされていた。档案史料との照合によって、誤写の訂正や欠落箇所の復元がある程度可能だと判断されたからである。 
 中国第一歴史档案館の収蔵する明清代の档案類は1千万件以上もあるといわれ、沖縄県教育委員会は、その中国第一歴史档案館と1991年3月に那覇市で「清代の档案マイクロフィルムの相互交換に関する中国第一歴史档案館と日本国沖縄県教育委員会との覚書」を調印し、以来その取り決めに沿って、中国第一歴史档案舘から沖縄県へ清代の档案マイクロフィルムが提供されている。また、史料編集室では、同時に台北の中央研究院歴史語言研究所収蔵の明清档案や台湾の故宮博物院収蔵の宮中档や軍機档といった档案史料の収集を積極的に押し進め、そうした収集作業は現在も続いている。現在、档案史料は『歴代宝案』の校訂・訳注作業に豊富な情報を提供している。また中国第一歴史档案館では、そうした档案史料を「沖縄銀行沖縄文化振興基金会」や「沖縄海洋博覧会記念公園管理財団」の出版補助金を受け、逐次後述する清代中琉関係の档案史料集として刊行している。
 以上のような記述から、琉球と明清の外交関係の研究は、琉球大学や沖縄県史料編集室が中国・台湾の研究機関と協力して、進められているつつあることがわかります。
2013/9/6