読書ノート / 通史
 一線の研究者が語る琉球処分

 「琉球処分」を問う(新報新書) 琉球新報社
編・著者  琉球新報社/編著
出版社  琉球新報社
出版年月  2011年6月20日
ページ数  187 
判型  21.9 x 16.1 x 4.4 cm
税込定価  980円 
 本書は、2009年10月から2010年3月まで琉球新報文化面で連載されていた「『琉球処分』を問う」をまとめた出版したものです(「琉球処分」の背景を体系的に理解できる新書が発売)。
 連載は、西里喜行沖縄大学教授、比屋根照夫琉球大学名誉教授、上里賢一琉球大学教授、伊佐眞一琉球大学法科大学院係長の4氏が執筆しました。 
 「第1部 『琉球処分』を問う」には、連載記事が掲載されています。
 「第2部 『琉球処分』130年を問う」では、新たに、比屋根氏、西里氏、上里氏による鼎談が収録されています。
 「第1部 『琉球処分』を問う」の構成と執筆者は次のようになっています。
  琉球救国運動とその周辺 ― 西里喜行
  漢詩文から見る救国運動 ― 比屋根照夫
  ファン・ボイ・チャウと琉球 ― 上里賢一
  三頑人「世替り」問答 ― 伊佐眞一
 「琉球救国運動とその周辺」は、1879年の廃琉置県(琉球処分)後の、琉球分割をめぐる日清交渉と、琉球人による分割阻止運動(救国運動)を主に扱っています。
 「琉球処分」には、さまざまの理解がありますが、執筆者はここでは1870年代から日清戦争までの期間と捉えているようです(狭義の琉球処分、156ページ)。
 廃琉置県(琉球は藩ではなかったので、廃藩置県というのは適切ではないというのが執筆者の見解のようです)には、琉球人及び宗主国である清国は強く反発し、たまたま両国を訪問していたグラント前米大統領の仲介で、日清両国の直接交渉が模索されます。
 1880年4月の予備交渉では、日本側は「分島・改約セット案」を提示、清国側は「琉球三分割案」を提示し、交渉は不調に終わります。
 「分島・改約セット案」は、日本は琉球の南島=先島(宮古・八重山)を清国に割譲し、その代価として日清条約改訂を要求するというものです。
 一方、「琉球三分割案」は、北島=道の島(奄美諸島)を日本領、南島を清国領とし、沖縄島には王国を復活させるというものです。
 しかし、日清提携を模索する清国側は、1880年8月から始まる正式交渉では、「分島・改約セット案」を受け入れる意向を示し、10月には琉球分割条約締結で妥結するに至ります。なお、清国側は南島に王国を再建するつもりだったようです。
 ところが、亡命琉球人・向徳宏が泣訴し断固反対の意思を表明したため、李鴻章が「豹変」し、調印は延期されることとなります。さらに、11月に林世功が琉球救国の大義に殉ずる決意を込めた請願書を残し自決します。このことも影響して、清国内では、再交渉論が大勢となり、1881年3月には、琉球分割条約は一旦廃案となります。
 その後も、分割条約復活の試みが継続されるものの、琉球士族らの反対請願や、清国内の対日強硬派の動きもあり、その試みも1882年前半に挫折するに至ります。
 日清両国が一旦合意した分割案は、@日本は奄美・沖縄を領土に組み入れ、A琉球は南島に王国を復活、Bそれにより清国は宗主国としての面目を保つことができる、という点では現実的選択肢であったと言えますが、琉球は王国の全面復活という、最も実現困難な選択肢を追求し続けたことになります。
 この点について、執筆者は、琉球の「歴史的一体性」の保持という観点から、「救国運動の歴史的意義は高く評価されるべきであろう」としています。
 一方、救国運動の限界として、@琉球ナショナリズムの脆弱性A新時代への対応力の欠如、を挙げています。
 @は、琉球が身分制社会であり、民衆的ナショナリズムを基盤とした国家構想を提起することができなかったことです。Aは、冊封体制という伝統的秩序意識に呪縛され、万国公法による琉球独立への展望を持ちえなっかたことです。
 Aについては、自由民権派の植木枝盛や清国外交官の郭嵩Z(かく すうとう)も琉球独立論を主張し、ハワイ国王マラカウアも小国の生き残りを賭け、アジアの連帯を強調しています。
 これに対し、「救国運動に献身した琉球人は伝統的な冊封進貢秩序を絶対視し、廃琉置県を経た後も専ら清国当局に王国復活のための支援を要請することに終始した。これはまた救国運動の歴史的限界と言うべきであろう。」と執筆者は指摘しています。
 「漢詩文から見る救国運動」は、林世功(りんせいこう)、蔡大鼎(さいだいてい)、毛有慶(もうゆうけい)らが残した漢詩文から、救国運動を担った琉球士族の心情を紹介しています。
 「ファン・ボイ・チャウと琉球」の前半部は、ベトナム独立運動の指導者ファン・ボイ・チャウと琉球の関係を紹介しています。ファンは、1904年、「琉球血涙新書」を著し、琉球処分によって明治国家に併合された琉球への同情を語り、琉球のように滅亡の惨状に陥らないため、抗仏反植民地闘争への決起をうながしています。
 そして、後半部では、琉球処分をめぐる明治言論界の状況を解説しています。自由民権派内でも琉球処分論と非処分論が拮抗・対立する中で、末広鉄腸の「琉奴可討」論のような対琉強硬論・国権論が登場する一方で、植木枝盛は琉球独立構想を提起し、明治政府を厳しく論難しています。
 「三頑人『世替り』問答」は、琉球処分後の琉球の進むべき方向を模索した、太田朝敷(おおた・ちょうふ)、謝花昇(じゃはな・のぼる)、伊波普猷(いは・ふゆう)の思想と行動を紹介しています。そして、明治30年代の琉球をテーマに、3人の架空の紙上鼎談を展開しています。
 「第2部 『琉球処分』130年を問う」では、新たに、比屋根氏、西里氏、上里氏による鼎談が収録されています。
 薩摩侵攻400年・琉球処分130年の節目の年(2009年)の、一線の研究者が最近の研究成果をもとに、「琉球処分とは何か」、多角的に興味深く語っていて、40ページ足らずの分量ながら、とても中身の濃い「琉球処分入門」となっています。
  (2013/8/19)