読書ノート / 近現代史
  電信線確保のため軍部が主導? 
 
 朝鮮王妃殺害と日本人:誰が仕組んで、誰が実行したのか
編・著者  金文子/著
出版社  高文研
出版年月  2009/2/15
ページ数  386
判型  四六判
税別定価  2800円
 
 著者は在日2世で、奈良女子大助手を経て、家庭に入り子育てを終えて、研究を再開したという、遅咲きの研究者です。本書は、研究再開から10年の成果をまとめたものです。
 本書の内容は次のようになっています。日本人関係者の経歴や行動を丹念にたどることにより、事件の全容に迫ろうとしています。登場するのは、軍人、外交官が中心で、壮士や写真師が脇役です。
序章 王妃の写真
T 日清戦争大勝利のあとに──揺れ動く日本の対朝鮮政策
川上操六/井上馨/杉村濬
U 王妃殺害を準備したのは誰か──特命全権公使・三浦梧楼の登場
井上馨/三浦梧楼/川上操六
V 「王妃事件」第一報の打電者──新納時亮海軍少佐にみる日本海軍の諜報活  
新納時亮/内田京城領事/伊集院海軍大佐の報告
W 陸軍は事件にどう関わったか──楠瀬幸彦陸軍砲兵中佐の足跡を追って   
楠瀬幸彦/川上操六 
X 告発と隠蔽のはざまで──京城領事・内田定槌が残した事件の真実
内田定槌/西園寺公望/三浦梧楼   
Y 王妃殺害に加わった「壮士」たち──熊本国権党と王妃事件
安達謙蔵
Z 現場からの逃走──法部顧問・星亨と、写真師・村上天真
星亨/村上天真
終章 狙いは「電信線」の確保だった
 著者は、本書の目的を次のように説明しています(349〜350ページ)。従来は、王妃殺害は粗暴な三浦梧楼の単独犯行であるとするのが日本での一般的な見方であったように思われますが、著者は、「軍拡路線を推し進めた薩長軍閥勢力を批判する言動をと」り(108ページ)、「排除された」(109ページ)三浦梧楼は、「馬鹿」で「無骨な軍人」(97ページ)ではなかったと見ています。そして、そんな三浦が、なぜ王妃殺害という暴挙を犯したのか、その理由を、事件関係者の経歴や言動を詳細に分析することにより解き明かそうというのが、本書の狙いのようです。

 三浦梧楼は、後年、次のように語っている。

 此王妃は女性としては実に珍しい才のある豪(え)らい人であった。我輩も度々宮廷に出たが、朝鮮では婦人は男子に会ふことはできぬ。随って王妃も我輩などには会われぬ。最初一二度の間は、国王の椅子の下で、何だか声がするように思ったが、此れが王妃の声であった。王妃は国王の椅子の裏の襖を開け、其処から口を出して、国王に何角(なにか)と指図をするので、事実上の朝鮮国王は此王妃だと謂(い)っても好いのである。我輩に対しても、「甚だ遺憾であるが、此国の風習として、直接にお目に懸かることが出来ない。」と云う御挨拶である。ソレは実に行届いたものだと思った程である。
                       (『観樹将軍回顧録』三二四頁)

 「女性としては実に珍しい才のある豪らい」王妃を、三浦梧楼は何故殺害しなければならなかったのか。本書は、この疑問から出発し、事件に関係した百年前の日本人を一人ひとり尋ねていったものである。


 「序章 王妃の写真」では、人物ではなく、一枚の写真を取り上げています。本書の表紙に使われている写真は、角田房子著「閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母」はじめ多くの書籍で、「閔妃(明成皇后)の写真」として使われているものです。しかし、その真偽については、日本や韓国で多くの議論があります。
 著者は、この問題について、1章を割き詳細に検証していますが、次のように述べて(34ページ)、「これは、王妃ではなく、間違いなく宮女である」と結論付けています。「仮髪と衣装が王妃のものとしては、品質は全く違う」というのが最大の根拠のようです。
 この解説のとおり、クンモリという仮髪もウォンサン(円衫)という衣装も、宮中に大きな祝宴があるときに用いられる礼装で、形式としては王妃のものと宮女のものと変わらない。ただし、これも解説のいうとおり、品質は全く違う。
 王妃が使うクンモリは人髪でつくられており、宮女の場合は木製のものが使われる。また、王妃が着る円杉は「織金円衫」といわれるように、金糸が織り込まれた錦で仕立てられており、それを着た王妃の姿は、純宗妃尹(ユン)氏の写真で見ることができる。
 「朝鮮宮女」の写真は明らかに木製のクンモリをつけており、また錦織の円杉ではない。これは、王妃ではなく、間違いなく宮女である。

 この事件については、外交文書や裁判記録、関係者の手記など膨大な史料が残っており、王妃殺害の主犯は三浦梧楼であることに疑いの余地はありませんが、はたして三浦梧楼の単独犯行なのか(秦郁彦はじめ日本の保守派の主張、読書ノート/旧日本陸海軍の生態学 - 組織・戦闘・事件)、伊藤内閣も関与しているのか(韓国学者やマスコミの主張)について意見が対立しています。
 この問題については、伊藤内閣の関与を示す手紙が見つかったと、2005年に韓国紙が報じたことから歴史家の間で話題となりました。この手紙について、著者は次のように述べています(75〜76ページ)。
 この手紙は、韓国のドキュメンタリー映画監督の鄭秀雄(チョンスウン)が国会図書館憲政資料室で探し出し、『朝鮮日報』が二〇〇五年一〇月六日に「新発見」として報じたものである。軍事史家の秦郁彦が「閔妃殺害事件の再考察」(『政経研究』四三一二、二〇〇六年一〇月)で取り上げ、「山県と言う陸軍の長老と結んだ芳川が、おそらくは他の有力者も巻きこんで対韓武断策への転換を画策していたことが明らかになったのは興味深い」とコメントしたが、日本においては一般に知られることもなかった。
 ところが、朝日新聞記者の渡辺延志が、『朝日新聞』二〇〇八年六月二八日の朝刊に「朝鮮の皇后・閔妃殺害事件 日本政府高官の手紙見つかる 」として、再びこの手紙を含め鄭秀雄が発見したといういくつかの手紙を取り上げか。
 渡辺は、この芳川の手紙を「内閣レベルで明成皇后の殺害について話しあっていた」と解釈する韓国の研究者の見解と、それを論理の飛躍と批判して、「陸奥が同意したとしても、隠棲していた政敵の大院君を引き出して閔妃一派の発言力を封じる政治工作どまりではなかったか」とする秦郁彦の見解を紹介している。
 以上両者の意見に対して、私の見方はいずれとも異なる。六月二〇日の時点で、陸奥と山県と芳川が「弥縫策は断然放棄し、決行の方針を採る」ことに合意し、朝鮮公使井上馨に伊藤総理の説得を依頼したとするならば、そこで問題になっていた事柄とは、陸軍省と外務省の間で懸案事項となっていた「朝鮮駐屯軍の交替問題」以外に考えられない。司法大臣芳川顕正が出てきたのも、朝鮮に派遣した後備兵を戦争終了後もいつまでも帰国させなければ、国民の不満も高まり、法律上の問題も発生するからであろう。
 後備兵とは、現役と予備役の7年を勤めた兵士で、多くは家庭を持っていたため、戦争が終われば速やかに帰国させ兵役を終了させる必要がありました。一方、諸外国(特にロシア)との対立に備え、通信線の確保のため、新たな部隊を派遣する必要がありました。著者は、通信線の確保が王妃殺害の目的であったと推論しており、「決行」とは「朝鮮駐屯軍の交替」のことを意味すると見ています。韓国の学者は、「弥縫策」とは「閔妃の懐柔」のことであり、「決行」とは「王妃殺害」を指すと見ているようですが、6月20日の後にも、井上馨は「閔妃の懐柔」を続けているので、その見方には少し無理があるようにも思われます。「決行」の方針を採りつつ、「弥縫策」も続けたということなのでしょうか。

 各章は独立した形で、関係者個々の経歴や行動を丹念にたどっています。そして、一見無関係に見える軍関係者が見えざる糸でつながっており、王妃殺害という目的に向かって、影の主役・川上操六参謀次長に収斂するという構造になっています。
 ただ、そのため、事件全体の概要がややわかりにくくなっている感があります。したがって、角田房子著「閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母」などを読んでおいた方がよいかもしれません。
 著者は、終章で本書の結論を次のように述べています(358〜359ページ)。
 明成皇后殺害事件は、日清戦争の講和が成立し、三国干渉が起こった後も、朝鮮における電信線を日本の手に確保するため、引き続き日本軍の駐兵を望む日本政府と大本営の意を受けた全権公使三浦梧楼が、その障害となる王妃−ロシアと結んで日本に対抗する姿勢を見せていた王妃―を除去し、親日政権の確立をめざして、京城守備隊という日本の軍隊を使って引き起こした謀略事件である。
 謀略事件たるゆえんは、「訓錬隊」という日本人士官が訓練する朝鮮軍が大院君を擁して起こしたクーデターを装った点にある。
 三浦梧楼の赴任にあわせて、訓錬隊を指導する現役士官の補強がおこなわれていたことは、第W章で明らかにした。三浦梧楼は赴任に先立って、大本営の川上操六と、遼東半島返還に関する交渉が露・独・仏の三国政府との間で妥結し次第、駐兵と電信問題を一挙に解決すると、打ち合わせていたのではないだろうか。
 2016/1/10