本書は、「歴史書としては異例の大ヒット作」と言われる「明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」の著者による最近の著作です。本書は、前半では土方歳三の生い立ちが、マニアックなほど詳細に述べられていますが、幕末の京都に舞台が移ってからは、かなり感情的な薩長(特に長州向けの)批判が話の主流になって面食らってしまいます。そして、戊辰戦争から箱館戦争までが本書のメインテーマのはずですが、前半の生い立ち部分に比べ、かなりあっさりした扱いで、ここでも随所に薩長批判が顔を出しています。どうも、この本は「明治維新という過ち」の焼き直しのようです。
●事実検証ではなく、推論を交えた歴史評価に重点 明治維新を否定的に捉えると言う点では、これらの著作は、リベラル派からの司馬批判と共通する側面もありますが、両者はかなり異なったものという印象を受けます。 多くは、いわゆる作家によるものであり、歴史評論とでもいうものです。研究家ではないので、史料による事実検証ではなく、推論を交えた歴史評価に重点が置かれています。そして、倫理的観点から官軍関係者(特に長州をターゲットにして)を過激な表現で攻撃する傾向が見られます。 たとえば、原田は「明治維新という過ち」で、「陸軍は山県有朋を祖としており、長州軍閥の流れをくんだものであり、昭和の関東軍の暴走も幕末動乱以降の流れにある」と主張しています。そして、「尊皇の志士たちとは、実は暗殺者集団、テロリストであり、その精神的支柱が吉田松陰だ」、「討幕派には、公武合体を主張していた孝明天皇の暗殺説がつきまとっていた」、「長州のテロリストたちの拠り所としたのが水戸学」、「徳川光圀は虚妄の歴史書『大日本史』編纂事業に藩財政を投入」、「水戸の攘夷論の特徴を、誇大妄想、自己陶酔、論理性の欠如に尽きる」と、水戸学と吉田松陰の尊皇攘夷論を厳しく批判しています(読書カフェ 原田伊織『明治維新という過ち』(改訂増補版))。 「明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ」の著者である鈴木荘一は、「自虐史観を克服するため」の「アメリカの罠に嵌まった太平洋戦争」「日本征服を狙ったアメリカのオレンジ計画と大正天皇」などの著作があります。薩長を攻撃する一方で、徳川慶喜など幕臣を評価しているのが特徴のようです(日本近代史を見直す 鈴木荘一)。 「薩長史観の正体」の著者である武田鏡村は、「吉田松陰は松下村塾でテロリストを養成して、近隣諸国への侵略主義を唱えていた」「高杉晋作は放火犯で、テロの実行を煽(あお)っていた」「木戸孝允は、御所の襲撃と天皇の拉致計画を立てていた」「西郷隆盛は僧侶を殺めた殺人者で、武装テロ集団を指揮していた」「西郷隆盛は平和的な政権移譲を否定して、武力討幕の謀略を実行した」「三条実美(さねとみ)は天皇の勅許を偽造して、攘夷と討幕運動を煽っていた」などと攻撃する一方で、「薩長は、官軍の戦死者だけではなく、近隣諸国への侵略によって戦死した兵士たちを(靖国神社に)誇らしく祀り、国民皆兵による軍国主義の拡張を正当化した」「教育勅語の見直し論に見られるように歴史修正主義が台頭し、またぞろ薩長が唱えていた国家観が息を吹き返しているようである」とも述べています(なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか)。武田は、日本歴史宗教研究所所長で浄土真宗の僧籍も持つそうですから(東洋経済オンライン)、原田や鈴木とは少し路線が異なるのかもしれません。 ●突っ込みどころ満載でそれなりに面白い 本書で、著者は土方歳三を次のように評価しています(84ページ)。
王政復古から鳥羽伏見の戦いへの経緯について、著者は次のように述べています(182〜183ページ)。
著者は、「高い文化レベル=尊皇論」という独特の価値観を持っているようです(173ページ)。
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