読書ノート / 近現代史
  もうひとつの司馬史観批判 
 2017/12/8
 官賊に恭順せず 新撰組土方歳三という生き方
編・著者  原田伊織/著
出版社  KADOKAWA
出版年月  2017/6/26
ページ数  274
税別定価  1500円

 本書は、「歴史書としては異例の大ヒット作」と言われる「明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」の著者による最近の著作です。本書は、前半では土方歳三の生い立ちが、マニアックなほど詳細に述べられていますが、幕末の京都に舞台が移ってからは、かなり感情的な薩長(特に長州向けの)批判が話の主流になって面食らってしまいます。そして、戊辰戦争から箱館戦争までが本書のメインテーマのはずですが、前半の生い立ち部分に比べ、かなりあっさりした扱いで、ここでも随所に薩長批判が顔を出しています。どうも、この本は「明治維新という過ち」の焼き直しのようです。

●「花燃ゆ」が宣伝効果?
 「明治維新という過ち」は、「歴史書としては異例の5万部を超えるヒット」となったそうです(「明治維新を全否定」の歴史本 会津地方で大ベストセラーに)。
 実は、「明治維新という過ち」は、2012年に出版された後、2015年に改訂増補版が出て、2017年に講談社文庫になっています( 日本を滅ぼした、明治維新という「過ち」)。この本が売れ始めたのは2015年の改訂増補版からのようですが、この年にはNHK大河ドラマで「花燃ゆ」が放送されています。この番組には安倍首相の関与疑惑がありましたが(大河に『花燃ゆ』ごり押し? 安倍首相が愛する「長州藩」はテロリスト集団だった!)、本書にとっては、大きな宣伝効果があったようです。

従来の司馬批判はリベラル派からのものだった 
 著者は、「明治維新という過ち」で司馬遼太郎の維新史観を批判しています。
 司馬遼太郎の歴史観については、朝鮮史研究者の中塚明の批判があります(司馬遼太郎の歴史観 その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う)。この批判は、左派あるいはリベラル派の立場から、司馬の「明治栄光論」に向けられたものです。「明治栄光論」とは、「維新から日露戦争までの明治の日本の歩みは正しかった。日露戦争は防衛のための戦争だった。しかし、昭和の三代目が道を誤り侵略戦争に突き進んでしまった」というものです。中塚は、司馬が日清戦争の侵略的側面に触れていないことを批判しています。また、日露戦争が防衛戦争だったのかについても疑問を示しています。つまり、従来の司馬批判はリベラル派からのものであったといえます。

明治維新否定論はブームなのか 
 来年は明治維新から150年ですが、明治維新を否定する出版物がブームになっているそうです(なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか)。
 この2年間で出版された明治維新関係の書籍をリストアップすると次のようになります。そのうち、明治維新に否定的なタイトルのものを朱色、オレンジ色で示すと、圧倒的に多数を占めています。逆に、明治維新を賞賛するタイトルのものを黄色で示すと、ごく少数です。
明治維新とは何だったのか: 薩長抗争史から「史実」を読み直す 一坂 太郎  2017/11/24
明治維新150年を考える ──「本と新聞の大学」講義録 (集英社新書) 一色 清
姜尚中 
2017/11/17
明治維新 血の最前戦 ―土方歳三 長州と最後まで戦った男 星 亮一 2017/11/10
会津戊辰戦死者埋葬の虚と実―戊辰殉難者祭祀の歴史  野口信一 2017/11/1
維新の悪人たち 「明治維新」は「フリーメイソン革命」だ!  船瀬 俊介 2017/10/20
明治維新 司馬史観という過ち 原田伊織
森田健司
2017/10/18
あくなき薩長の謀略 戊辰戦争 明治維新に隠された卑劣な真実 星 亮一 2017/10/5
日本が世界に尊敬される理由は明治維新にあった 黄文雄 2017/9/29
日本二千六百年史 新書版 大川 周明 2017/9/26
教科書には載っていない 明治維新の大誤解 夏池 優一 2017/9/26
薩長史観の正体 武田 鏡村 2017/9/8
日本ナショナリズムの歴史 I 「神国思想」の展開と明治維新 梅田 正己 2017/9/8
【新装版】明治維新という名の洗脳 苫米地 英人 2017/9/7
偽りの幕末動乱―薩長謀略革命の真実 星 亮一 2017/8/24
明治維新から見えた 日本の奇跡、中韓の悲劇 加瀬 英明
石平
2017/6/30
官賊に恭順せず 新撰組土方歳三という生き方 原田 伊織 2017/6/26
明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〔完全増補版〕 (講談社文庫) 原田 伊織 2017/6/15
呪われた明治維新 ―歴史認識「長州嫌い」の150年 星 亮一 2017/4/5
明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ 鈴木 荘一 2017/3/21
三流の維新 一流の江戸――「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」  原田 伊織 2016/12/9
明治維新という幻想 (歴史新書y) 森田 健司 2016/12/5
明治維新という名の洗脳 苫米地英人 2016/10/19
大西郷という虚像  原田伊織 2016/7/15
官賊と幕臣たち: 列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート 原田伊織 2016/5/30
明治維新という名の洗脳 150年の呪縛はどう始まったのか? 苫米地 英人 2015/9/19
維新正観―秘められた日本史・明治篇 (PP選書) 蜷川 新
礫川全次
2015/4/28
吉田松陰――久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」 (朝日新書) 一坂太郎 2015/2/13
明治維新という過ち 【改訂増補版】: 〜日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〜 原田伊織 2015/1/14
明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 会津版 原田伊織 2015/1
 明治維新を否定する出版物は、原田伊織、星亮一によるものが多数を占めており、残りは、武田鏡村、苫米地英人、鈴木荘一、森田健司によるものが、1、2点ずつです。ブームと言えるかどうかはともかく、多くの書籍が出版されているのは事実です。なお、星亮一は少し傾向が違うようです。

事実検証ではなく、推論を交えた歴史評価に重点 
 明治維新を否定的に捉えると言う点では、これらの著作は、リベラル派からの司馬批判と共通する側面もありますが、両者はかなり異なったものという印象を受けます。
 多くは、いわゆる作家によるものであり、歴史評論とでもいうものです。研究家ではないので、史料による事実検証ではなく、推論を交えた歴史評価に重点が置かれています。そして、倫理的観点から官軍関係者(特に長州をターゲットにして)を過激な表現で攻撃する傾向が見られます。
 たとえば、原田は「明治維新という過ち」で、「陸軍は山県有朋を祖としており、長州軍閥の流れをくんだものであり、昭和の関東軍の暴走も幕末動乱以降の流れにある」と主張しています。そして、「尊皇の志士たちとは、実は暗殺者集団、テロリストであり、その精神的支柱が吉田松陰だ」、「討幕派には、公武合体を主張していた孝明天皇の暗殺説がつきまとっていた」、「長州のテロリストたちの拠り所としたのが水戸学」、「徳川光圀は虚妄の歴史書『大日本史』編纂事業に藩財政を投入」、「水戸の攘夷論の特徴を、誇大妄想、自己陶酔、論理性の欠如に尽きる」と、水戸学と吉田松陰の尊皇攘夷論を厳しく批判しています(読書カフェ 原田伊織『明治維新という過ち』(改訂増補版))。
 「明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ」の著者である鈴木荘一は、「自虐史観を克服するため」の「アメリカの罠に嵌まった太平洋戦争」「日本征服を狙ったアメリカのオレンジ計画と大正天皇」などの著作があります。薩長を攻撃する一方で、徳川慶喜など幕臣を評価しているのが特徴のようです(日本近代史を見直す 鈴木荘一)。
 「薩長史観の正体」の著者である武田鏡村は、「吉田松陰は松下村塾でテロリストを養成して、近隣諸国への侵略主義を唱えていた」「高杉晋作は放火犯で、テロの実行を煽(あお)っていた」「木戸孝允は、御所の襲撃と天皇の拉致計画を立てていた」「西郷隆盛は僧侶を殺めた殺人者で、武装テロ集団を指揮していた」「西郷隆盛は平和的な政権移譲を否定して、武力討幕の謀略を実行した」「三条実美(さねとみ)は天皇の勅許を偽造して、攘夷と討幕運動を煽っていた」などと攻撃する一方で、「薩長は、官軍の戦死者だけではなく、近隣諸国への侵略によって戦死した兵士たちを(靖国神社に)誇らしく祀り、国民皆兵による軍国主義の拡張を正当化した」「教育勅語の見直し論に見られるように歴史修正主義が台頭し、またぞろ薩長が唱えていた国家観が息を吹き返しているようである」とも述べています(なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか)。武田は、日本歴史宗教研究所所長で浄土真宗の僧籍も持つそうですから(東洋経済オンライン)、原田や鈴木とは少し路線が異なるのかもしれません。

突っ込みどころ満載でそれなりに面白い
 本書で、著者は土方歳三を次のように評価しています(84ページ)。
 この男は、基本的に役職で表現される所謂出世したいという欲をもっていない。与えられたポジション、境遇で、時に静かに咲き、時には強烈に光彩を放つ、そういう男であって、上を倒すという発想そのものをもたない。このことが、近藤が土方に全幅の信頼を置いていた理由であろう。土方自身は、近藤の想いとは若干違っていて、近藤という人間そのものに心酔し切っていた訳ではない。土方はあくまで、仰々しくいえば己の心情や信条のみに忠実であっただけであろう。山南自害事件は、土方の計算外のところで起きたものであると考えている。
 著者は次(112ページ)のように、長州の尊皇攘夷主義者を、「天皇原理主義者」「浅薄な精神主義者」と批判しています。著者は、「士道」や「尊皇」に高い価値を認めているようです。

 不幸なことに、極端から極端へ揺れ動く近代日本では天皇原理主義者ともいえる国粋主義者が「武士道」という言葉を声高(こわだか)に叫んできたことも一因となって、「士道」という武家の倫理観の根幹を為すあり方は大いに誤解されてきたのではないか。この場合、天皇原理主義者とは、幕末でいえば「尊皇」という立場とは無縁の、浅薄な精神主義者であることを但し書きとして付記しておかなければならない。

 近藤に比べ土方は、「歴(れき)とした武士」「上品の侍」を目指していたと持ち上げています(113ページ)。

 尚武の地多摩で育った百姓の倅(せがれ)であった近藤と土方が、身分上昇や身分間移動に融通性の高かった江戸期社会にあって、武士への身分上昇欲求を強くもっていたことは確かである。近藤は、天然理心流近藤家へ養子に入ることによってギリギリの士分ともいえる浪人となって、形式的にはそれを果たしたようにみえるが、彼はもっと明確な「正規の武家」になることを欲していたと見受けられる。
 土方の場合も、形は同じようにみえるが、この男は、形もさることながら価値観そのものが「歴(れき)とした武士」であることにこだわったように思えるのだ。彼こそ、典型的な「上品の侍」を常に目指していたのではないか。

 徳川慶喜については、「この人は他に対しては厳しく、己に対しては徹底して甘いという、真(まこと)に救い難い人物」(116ページ)「目先のことさえ無事に済めばよしとする、小人・慶喜」(121ページ)とし、長州攘夷派については「長州という荒れ狂う狂人」(122ページ)と手厳しく批判しています。 
 王政復古から鳥羽伏見の戦いへの経緯について、著者は次のように述べています(182〜183ページ)。
 江戸での「薩摩藩邸焼打ち」とそれに至る経緯が、大坂城の慶喜に伝えられたのが十二月二十八日。ちょうど「王政復古の大号令」に伴って決議された「辞官納地」を骨抜きにし、「王政復古の大号令」を失敗に追い込み、政治的逆襲に成功したとみえた、その時である。エリート意識の強い慶喜は、図に乗り過ぎたのかも知れない。調子がいい時はどんどんアグレッシブになるのは、この人の本性である。
 明けて明治元年となる慶応四(1868)年正月二日、「討薩表」を持った、大河内正質(おおこうちまさただ)を総督とする幕軍一万五千が大坂城を進発した。そして、翌三日、薩摩がこの軍を突如砲撃し「鳥羽伏見の戦い」が勃発、薩摩・長州は一気に戊辰戦争という、待ちに待った討幕の戦乱に突入する。
 結局、京に於ける討幕クーデターに失敗し、圧倒的に不利な立場にあった薩摩・長州勢力は、この江戸市中での騒乱に拠って一気に「戊辰戦争」へと突っ走り、後に「明治維新」と呼ばれる政権奪取を断行してしまったのである。即ち、西郷が送り込んだ赤報隊が、その一番の功労者ということになる。敢えて簡略に述べ切ってしまえば、これが、後世「明治維新」と呼ばれた動乱の、核になる部分の史実である。
 これは新撰組についてもいえることであるが、もし、西郷という男が上級の士分の者であったなら、こういう手を打ったであろうか。これまで「明治維新」とは、下層階級の者が成し遂げた革命であると、美しく語られてきた。表面は確かにその通りであるが、下級の者であったからこそ、下劣な手段に抵抗を感じなかったといえるのではないか。平成日本人は、この種のリアリズムを極端に蔑視するが、これは否定し難い染み付いた本性の問題である。敢えて付言するが、差別主義であるなどという指摘は、全く的が外れているのだ。そして、動乱とは概してそういうものであるともいえようが、核になったのが下層階級にも入らぬ、倫理観とも往時の良識とも無縁の単なる無頼の輩であったことを忘れてはならない。
 確かに「新政府内で議定の松平春嶽、参与の後藤象二郎ら土佐、越前藩などの公議政体派によって、慶喜の処分を見直し、慶喜を議定職に充てるという妥協案がまとま」っていますから(<幕末の動乱と明治維新>第8回〜クーデターで政権樹立 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE))、慶喜側の巻き返しもある程度成功しています。そして、庄内藩士らが、浪士らの挑発に乗って、江戸の薩摩藩邸を焼打ちしたことが、大坂城の主戦派を刺激し、慶喜による抑えが効かなくなったということもありますが、「慶喜がアグレッシブになった」といえるのか疑問です。いずれにしても、鳥羽伏見の戦いの勝敗が「核になる部分の史実」であって、薩摩側の挑発は戦闘勃発のきっかけのひとつに過ぎません。なお、「下級の者であったからこそ、下劣な手段に抵抗を感じなかったといえる」という差別的発言にはちょっと驚かされます( テーマは悪くないが、歴史を扱う姿勢に根本的な問題が)。著者が高く評価している土方歳三は下級武士の出身ですらありません。「平成日本人は、この種のリアリズムを極端に蔑視するが、これは否定し難い染み付いた本性の問題である」という著者の反論はどういう意味なのでしょうか。
  著者は、「高い文化レベル=尊皇論」という独特の価値観を持っているようです(173ページ)。

 江戸期の諸学の隆盛はさまざまな分野に及び、江戸の文化レベルを大いに高めると共に、独自性というものを完成させたのだが、政治思想の面で「尊皇論」を生んだのも、結局はこのような高い文化レベルの一側面であったといえる。同時に「佐幕」という概念と言葉が生まれたことも、同様の背景をもつものである。幕末近くになると、諸大名から幕臣に至るまで、即ち、武家の間に「尊皇意識」は深く浸透しており、幕末動乱期には「尊皇佐幕」という立場が武家としてはむしろ一般的であったと考えられるのだ。近藤の尊皇意識も大きくみれば、この範躊に入るものである。

 確かに、徳川慶喜はあまりにもあっけなく降参してしまった感じもしますが、著者にとっては、水戸藩・徳川慶喜こそが元凶だったようです(200ページ)。

 私たちは、テレビドラマや映画などで繰り返し繰り返し薩長軍の圧倒的に有利なフィクション映像を刷り込まれているから、俄かには信じられないであろうが、一度徳川慶喜が大坂城に退いた後からでも幕府軍が反攻していれば、薩長軍は壊滅したはずである。何故なら、幕軍にはまだ洋式部隊が温存されており、海軍は幕府しか保有していなかったのである。但し、ごく普通に戦えば、の話である。ひと言でいえば、指揮官のいない軍は戦えないのだ。それも、指揮官自らが戦場を放棄するというぶざまな体たらくでは、どんなに装備に於いて勝っていたとしても戦での勝利は望めない。要するに、水戸藩から出た徳川慶喜という最後の将軍は、とても武人の棟梁である「征夷大将軍」の器ではなかったということである。

 高校の歴史教科書は無味乾燥なぐらい客観主義的ですから、「幼い頃から薩摩・長州政権が創った歴史教育を受けて育った」記憶はありませんが、著者に言わせれば、「当時の日本人のもっとも素朴に日本人らしい心情について全く誤解している」そうです(204ページ)。

 私たちは、幼い頃から薩摩・長州政権が創った歴史教育を受けて育っているから、「尊皇」という当時の日本人のもっとも素朴に日本人らしい心情について全く誤解したまま「鳥羽伏見の戦い」を、戊辰戦争を、或いは明治維新を語っていることが殆どなのだ。
 幕府人にとって、錦旗を偽造するなどという行為は想像を絶する悪行であり、神仏に背く行為である。その点、長州人は柔軟であったともいえるが、特に長州人というのはもともと気の荒いことで知られ、六十余州三百諸侯の中でお上(天皇)のおわす御所に大砲をぶっ放したのは長州人だけである。

 突っ込みどころ満載で、それなりに面白く読ませていただきました。