「日本の皆さんへ」という序文で、著者は本書の狙いを次のように説明しています(3〜4ページ)。
@については、「日本の定説」の代表として、角田房子「閔妃闇殺」(新潮社)を激しく攻撃しています。「閔妃闇殺」は、日本では新潮社から、1988年に出版され、本書注によれば、その年に朝鮮日報社から韓国語訳が出版されていますから、韓国でも注目を集めたものと思われます。 なお、本書は、2001年10月に韓国で出版され、2003年11月に日本語訳が出版されています。 確かに、日本の出版物では、木村幹「高宗・閔妃:然らば致し方なし」は、「大院君首謀説」「浪人たちによる偶発的殺人事件」を示唆していますが、保守的立場の秦郁彦「旧日本陸海軍の生態学 - 組織・戦闘・事件」も、そのような見方は取らず、三浦梧楼単独犯行説を唱えています。角田房子「閔妃闇殺」は、三浦梧楼首謀説を採りつつ、陸奥宗光や伊藤博文が積極的に関与した証拠はないものの、事件を予想しながら、黙認、傍観していた可能性はあると見ています。では、どうして、そのような立場の角田房子「閔妃闇殺」が激しく攻撃されるのでしょうか。 著者は、第3章で、「角田房子本の歴史歪曲と問題点」という1節を設け(154〜159ページ)、角田房子「閔妃闇殺」を厳しく批判しています。 批判の内容は次のようなものです(155〜156ページ)。
一方、角田房子「閔妃闇殺」(新潮文庫)では、事件を知った政府要人の反応を次のように推測しています(430〜431ページ)。まず、井上馨首謀説については、「証拠の裏づけがない」「想像の域を出ない」と切り捨てています。そして、「政府が直接関係していたとは考えられない」とするものの、政府要人たちの多くは、知らせを聞いて「ついにやったか」と思い、一部は「これで日本の勢力も挽回できるだろう」と歓迎したかもしれないとしています。ただ、「事がこれほどまずく運んだ」ことに、驚愕、狼狽したとしています。
A「専決断行権を付与された日本政府当局者、井上馨こそが事件の首謀者である」というテーマについて、著者は次のように述べています(8ページ)。
本書は、19世紀後半の朝鮮半島をめぐる国際関係史といえるものであって、国際情勢の分析について多くの示唆に富む分析を含んでいます。たとえば、三国干渉後の日本政府の姿勢の変化について次のように指摘しています(130〜133ページ)。
一方、日本政府は、5月10日に勧告を受諾し、6月4日には朝鮮への不干渉を閣議決定します。しかし、三国の結束はさほど強固なものではなく、ロシアとドイツの対立が次第に明らかとなります。日本政府は、遼東半島からの撤兵条件についての交渉を引き延ばしつつ、反転攻勢の機会を伺うことになります。 特命全権公使として、朝鮮内政改革を強引に推し進めて来た井上馨は、三国干渉後の対応を協議するため、6月20日から7月14日まで一時帰国します。この間、井上馨は、7月2日に、清から獲得する賠償金の一部(2%ほど)を朝鮮政府に寄贈する懐柔策を内閣に提示します。さらに、7月11日ころ、後任の特命全権公使として三浦梧楼を推薦します(井上馨の更迭は決まっていたようです)。著者は、この間の事情を次のように説明しています(134ページ)。
しかし、井上馨は、朝鮮政府への寄贈を実現するように最後まで要求し続けています。また、井上馨の「武断」的本心を示す根拠として、著者が挙げているのは、井上馨が三浦梧楼を推薦したということだけです。しかも、7月11日ころ、推薦したという極めてあいまいな説明です。このような事実関係は、日本の史料から確認するほかなく、「欧米資料のなかに詳しく指摘されている思いもよらない重要な事実」により証明することは極めて困難なように思われます。 つまり、後任に三浦梧楼を推薦したという不確かな事実だけを足がかりに、後は、状況証拠と推測を積み重ねて、井上馨首謀説を導き出しているように感じられます。
|