読書ノート / 社会
 2023/10/6
 ルポ百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地
編・著者 石戸 諭/著
出版社 小学館
出版年月 2020/6/17
ページ数 335
税別定価 1700円

 著者の経歴は次のとおりです(プレジデントオンライン)。
石戸 諭(いしど・さとる)記者/ノンフィクションライター
1984年、東京都生まれ。立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年、BuzzFeed Japanに移籍。2018年に独立し、フリーランスのノンフィクションライターとして雑誌・ウェブ媒体に寄稿。2020年、「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。 
 本書は、この特集「百田尚樹現象」に大幅加筆したものです。
 目次は次のとおりです。
序章
第一部 2019 モンスターの現在地
 第一章 ヒーローかぺてん師か
 第二章 彼らたちの0
 第三章 敵を知れ
 第四章 憤りの申し子
 第五章 破壊の源流
第二部 1996 時代の転換点
 第一章 「自虐史観」の誕生
 第二章 転身 藤岡信勝と教師たちの「当事者運動」
 第三章 ポピュラリティー 小林よしのりを貫くもの
 第四章「一匹」の言葉 西尾幹二とその時代
 第五章 分水嶺 『戦争論』が残したもの
終章 ポスト2020 空虚な中心 
 百田尚樹は、50歳でデビューした小説家ですが、第1作の「永遠の0」が空前のベストセラーになり、その後「海賊とよばれた男」で本屋大賞を受賞し、人気作家としての地位を確立しました(なお、このページでは敬称は省略しています)。
 その一方で、故・安部元首相を支持する保守的立場を明確にし、ネット上で韓国、中国や女性などに対する差別的発言を続けています。
 2018年に幻冬舎から出版された「日本国紀」は、「神話とともに誕生し、万世一系の天皇を中心に、独自の発展を遂げてきた、私たちの国の日本通史の決定版!」と銘打っています(日本国紀 | 株式会社 幻冬舎)。百田はこの本で、太平洋戦争は侵略ではなく、植民地を支配していた欧米4か国と戦って駆逐した大東亜戦争だったと肯定し、現在の日本人の歴史観は、GHQや朝日新聞などの洗脳により刷り込まれた自虐史観だから正さなければならないと主張しています。
 このような思想的問題だけではなく、数多くの事実誤認やウィキペディアからのコピペ疑惑などが指摘されました。
 にもかかわらず「65万部突破のベストセラー」となっているということです(シリーズ100万部突破の最強タッグ再び! 百田尚樹氏・有本香氏『「日本国紀」の天皇論』10月16日発売)。
 リベラル派・左派からは理解しがたい、このような百田尚樹現象の実態を解明しようというのが、本書の目的です。

保守論客としての傾向が加速
 本書第1部「第1章 ヒーローかぺてん師か」を参照し、百田尚樹の経歴と著作をまとめると、次のようになります。2012年頃から、保守的な発言や出版が目立つようになります。薄い黄色で示したのは、そのような傾向が見られる発言や出版です。濃い黄色で示したのは、特にそのような傾向の目立つ発言や出版です。最近では、作家というよりも保守論客としての色合いの方が強くなっています。
1956 大阪・東淀川に生まれる。
1975 同志社大学法学部に入学(twitter
 在学中に「ラブアタック!」(ABC朝日放送テレビのバラエティ番組、上岡龍太郎司会)の常連出演者となる。大学は中退
1980 文芸誌「群像」の新人文学賞に応募、1次予選通過
1988 朝日放送で、上岡龍太郎司会の「探偵!ナイトスクープ」の放送が始まり、当初から構成作家として参加
2006 「永遠の0」を太田出版から出版し、50歳で小説家デビュー 戦記物フィクション
2007 「聖夜の贈り物」を太田出版から出版 ファンタジー短編集
2008 「ボックス!」を講談社から出版 高校ボクシング青春小説
2009 「風の中のマリア」を講談社から出版。 ハチの戦士物語
「永遠の0」が講談社で文庫化
2010 「永遠の0」が朝日新聞の書評欄で絶賛される
ツイッターを始め、民主党政権を批判
「ボックス!」が映画化
「錨を上げよ」を講談社から出版。 自伝的フィクション
「聖夜の贈り物」を「輝く夜」と改題し講談社で文庫化
「リング」をPHP研究所から出版 ファイティング原田伝ノンフィクション
「影法師」を講談社から出版 時代小説
「モンスター」を幻冬舎から出版 サスペンス
2011 「プリズム」を幻冬舎から出版 ミステリアス恋愛小説
「幸福な生活」を祥伝社から出版 短編集
2012 「海賊とよばれた男」を講談社から出版 日章丸事件を題材にした歴史経済小説
「リング」を「「黄金のバンタム」を破った男 」と改題し文庫化
9月、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志による緊急声明 」の発起人に加わる
月刊誌「Will」9月号の論考で安倍再登板待望論を唱える
月刊誌「Will」10月号で安倍晋三と対談
2013 「永遠の0」が映画化
「モンスター」が映画化
「海賊とよばれた男」で本屋大賞を受賞
「夢を売る男」を太田出版から出版 ブラック・コメディ
「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」をワックから出版 安倍晋三との対談
NHK経営委員に就任、2015年まで
2014 都知事選の応援演説で「(田母神俊雄候補以外を)人間のくずみたいなもの」「南京大虐殺はなかった」と発言
「殉愛」を幻冬舎から出版 やしきたかじんを題材にしたノンフィクション
「殉愛」をめぐって、やしきたかじんの長女から名誉棄損による損害賠償を求められ提訴される。その後、マネージャーからも名誉棄損による損害賠償を求められ提訴される。いずれの訴訟も損害賠償が認められ確定している。裁判では、長女とマネージャーのいずれにも全く取材をしていなかった事が明らかとなる
「フォルトゥナの瞳」新潮社から出版 SF恋愛小説
2015 DHCテレビの「真相深入り!虎ノ門ニュース」の配信が始まり、火曜レギュラーを務める
2016 「海賊とよばれた男」が映画化
「カエルの楽園」を新潮社から出版。 現代の国際社会を暗示するカエルの世界の寓話
「幻庵」を文藝春秋から出版 囲碁歴史小説
2017 「今こそ、韓国に謝ろう」を飛鳥新社から出版 評論
「大直言」を新潮社から出版 青山繁晴との対談
2018 「日本国紀」を幻冬舎から出版。 日本通史
2019 「フォルトゥナの瞳」が映画化
「夏の騎士」を新潮社から出版。 百田版「スタンド・バイ・ミー」
2020 「野良犬の値段」を幻冬舎から出版。 誘拐サイトミステリー
「カエルの楽園2020」を新潮社から出版 現代の国際社会を暗示するカエルの世界の寓話
「地上最強の男:世界ヘビー級チャンピオン列伝」を新潮社から出版 ノンフィクション
「百田尚樹の日本国憲法」を祥伝社新書で出版 評論
2021 「[新版]日本国紀上・下」を幻冬舎文庫で出版 日本通史
2022 「禁断の中国史」を飛鳥新社から出版  評論
「橋下徹の研究」を飛鳥新社から出版 評論
 百田尚樹は1956年、大阪・東淀川の下町に生まれ、浪人して1975年、同志社大学法学部に入学します。在学中に、朝日放送のバラエティ番組「ラブアタック!」の常連出演者となります。司会は故・上岡龍太郎で、朝日放送の制作担当者は松本修(松本修|著者プロフィール|新潮社)でした。
 1988年から朝日放送で始まった「探偵!ナイトスクープ」に、百田は当初から構成作家として参加し、司会の上岡、制作担当の松本との関係が続きます。構成作家としての経験は、ナレーションやストーリーテリングの技量を高めるのに役立ったようです。百田はもともと小説家志望だったようで、1980年に群像新人文学賞に応募し、1次予選を通過しています。
 その後、「永遠の0」の原稿を大手出版社に持ち込んだものの、軒並み断られていたそうですが、2006年に、太田出版の現社長・岡聡が出版に踏み切ります。百田は、松本を通じて、岡と知遇を得ていたということです。なお、太田出版は、2015年に元少年Aの『絶歌』を出版したことで注目を集めました(『絶歌』の出版について)。
 「永遠の0」は、書評家の注目を集めるようになり、2009年、講談社で文庫化され、その後、累計発行部数546万部を突破する歴史的ベストセラー(永遠の0(ゼロ) 特集ページ - audiobook.jp)となります。
 2012年に講談社から出版した「海賊とよばれた男」で、2013年に本屋大賞を受賞し、ハードカバー、文庫あわせ420万部という大ヒット作となります(【ヒットメーカーに会ってみた!】加藤晴之さん)。
 2013年には、「永遠の0」が映画化され、興行収入85億円を超える大ヒット作となります(「永遠の0」興収85.6億突破で「ROOKIES」超え!邦画歴代興収6位に)。このころが、小説家としての経歴のピークだったといえそうです。
 一方、2012年ごろから、保守派・右派的発言が目立つようになります。
 百田は、2010年からツイッターを始め、民主党政権を批判していましたが、それに注目したのが、右派系論壇月刊誌「Will」の編集長だった花田紀凱(かずよし)でした。「Will」2012年9月号に執筆した論考で、百田が安倍再登板待望論を唱えことに安倍が感激し、10月号で両者の対談が実現します。また、三宅久之が代表発起人だった「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志による緊急声明 」の発起人に加わっています。
 安倍政権が発足し、2013年にはNHK経営委員に就任しますが、2014年の東京都知事選の応援演説で「(田母神俊雄候補以外を)人間のくずみたいなもの」「南京大虐殺はなかった」と発言し問題となります。

書いてしまったものはしょうがない
 人気作家として順風満帆な成功を収め、右派論壇にもデビューした百田は、2014年に幻冬舎から出版した「殉愛」で、多くの批判を受けるようになります。
 「殉愛」は、やしきたかじんの2年間の闘病生活を支えた女性(後妻)とのかつてない純愛ノンフィクション」(Amazon.co.jp: 殉愛)ということですが、やしきたかじんの長女が「殉愛」に記述された内容が虚偽であり、名誉を毀損されたとし、損害賠償を求めて訴えを起こしました。元マネージャーも同様の訴えを起こし、いずれの訴訟でも、名誉を棄損したとして損害賠償を命じられています。
 訴訟の過程で、百田が長女にも元マネージャーにも、全く取材をしていなかったことが明らかとなりました。ノンフィクションライターである、本書の著者はそのことを問題視して、百田尚樹に質問すると次のような回答があったということです(72〜74ページ)。
 判決では、記載された箇所について百田側は「さくら、さくらと利益を共通するプロデューサーや立場の近い友人」の発言を中心に記載し、元マネジャーやたかじんや彼の会社に関わっていた弁護士、税理士などの取材は一切なかったことが認定された。「純愛ノンフィクション」と宣伝しながら、取材がないままに元マネジャーが「能力を欠き、金に汚く、恩義のある人物に対してふさわしくない行動をとり、さくらには嫉妬して怒鳴るような人物」として描かれてしまったことを、とりわけ問題視している。
 ……
 元マネジャーは『殉愛』出版後、社会的な信用を失い、芸能界での職を得ることもできなかった。家族ともども、大阪から東京への引っ越しを余儀なくされている。表現は、生活を壊すこともできる。判決に書いてあることも、指摘されていることもジャーナリズムの世界では至極当たり前のことに思えた。その点を百田に問うとこんな答えが帰ってきた。

「これで百田尚樹は読まないと言われることもありました。自分としてはちゃんと取材はしていた。書き方も今から思えば申し訳なかったとは思うけど、もう一回書いて世に出てしまったものはしょうがない」

 今なら別のやり方があったと思うかと重ねて問うと「確かに、書き方については、もっとこうしたらよかったという思いはありますが、仕方ない。書いてしまったんやから」と言う。一応の反省を示しつつも、過去は変わらないのだと繰り返し語った。

「書き方で踏み込み過ぎた」
 この点について、幻冬舎社長の見城徹に質問すると、次のような回答があったということです(84〜85ページ)。
 この流れならおそらく『殉愛』についても話すだろうと思った私は、「もう一冊の本、『殉愛』についても伺いたい」と切り出した。彼の眉がぴくりと動いたが、拒むような反応はなかった。最後の質問はこうだった。今から振り返っても、ノンフィクションであるとするならば、当時の段階でせめて元マネジャーに対する取材は必須だったのではないか。
 見城はまず「『殉愛』は書き方で踏み込み過ぎた」ことは認めた。高部によれば、元マネジャーへの取材は必須ではあったが、対立関係にあり正当な取材ができるような環境ではなかったという。彼らは出版前に弁護士とも事前に協議を重ねていた。その時点で出版前には名誉毀損の可能性も指摘されていた。それでも出版に踏み切ったのは、百田尚樹という作家の作品だったからだ。

「訴訟になっても百田尚樹がうちに書いてくれた作品だから最後まで守る、が結論だ」

 だからといって、取材不足で人を不用意に傷つけることは肯定できない。そう思って口を開きかけると、見城はこちらの意図を察したように言葉を重ねてきた。

「名誉毀損については申し訳なかったが、出すべきだと判断したということです。これ以上言うことはない。僕は作家の側に立つ。危険だからやめようと言うことはできた。でも、作家が熱を込めて書いたもの。うちのために書いてくれたのだから訴訟に負けても、作家の側に立つという決断をした」
 対立する当事者は、同じ事実についても異なった見方をするものです。また、自分に不都合な事実については触れたがらないものです。したがって、双方の当事者に取材して、事実関係を確認するというのが、ノンフィクション作品を書く上での不可欠の前提となっているはずです。

「百田尚樹の名前を極力出さない」
 2015年、DHCテレビの「真相深入り!虎ノ門ニュース」の配信が始まりますが、百田は、火曜レギュラーを務め、右派論壇の主要メンバーとなっていきます。
 2016年には、「海賊とよばれた男」が映画化されます。2013年に映画化された「永遠の0」は、興行収入87億6000万円を記録し、日本アカデミー賞8冠を獲得しましたが(第38回日本アカデミー賞に「永遠の0」旋風巻き起こる!作品賞、監督賞、主演男優賞など8冠)、「海賊とよばれた男」は興行収入23億7000万円だったそうです(海賊とよばれた男の興行収入とは?歴代のランキングも解説!)。
 百田によると、「海賊とよばれた男」の製作費は10億円以上かかったということです(何故『海賊とよばれた男』の製作費は10億円以上かかったのか?それは大量のVFXが理由だ! )。

売れることが一番大事
 2018年に「日本国紀」が、幻冬舎から出版されます。百田と見城にこの本の目的と、事実誤認やコピペ疑惑について質問すると次のような回答が帰ってきました(79〜83ページ)。

 百田もまたこの本は学術的な歴史書だとは認識していない。日本の歴史を「私たちの物語」として書いたのだと語る。その上で、「売ることが一番大事」と断言した。

 百田の証言――「(『日本国紀』は)学術的な本ではないです。僕が日本という国の物語を面白く書いた、という本です。民族には物語が必要です。日本には素晴らしい物語があるのに、これまで誰も語ってこなかった。歴史的事実を淡々と書いたところで、それは箇条書きと同じです。
 僕は歴史で大切なのは解釈だと思っています。事実は曲げられませんから、事実に基づき、史料と史料の間を想像力で埋めて書いたのが、僕の解釈による通史です。本の歴史書はこうあるべき、なんて思うことはないですね」
「売れることが一番大事。そのためにやっています。売れなくてもいいならブログに書いていたらいい。僕の本で、編集者、製本会社、書店、営業・多くの人がご飯を食べているんです。売れなくてもいいから本を出そうとは思いません」

 再び、見城の声を聞こう。「僕もこの本は売れてほしいというだけだ。65万部(取材時の部数)じゃまだ足りない」と彼は平然と言う。見城と百田の思いはここでシンクロする。彼らは「大衆への思い」を共有している。テレビの視聴者と同じように、マーケットに広がるものには理由があり、一部のインテリに受けるだけでは多くは広がらない。大衆はインテリがバカにするような存在ではなく、物事の大切な部分を摑んでいる人々だ――。彼らが共通して抱く「大衆」は決して幻想ではなく、リアルな数字としてそこに存在している。

「売れている理由は明確でしょ。百田さんの史観と文章によって、歴史はこんなに面白いのか、というのがわかるからだ。特に12章以降の戦後史はこの本のハイライトで面白い」

 右派的な歴史観が強く打ち出される戦後史が面白い、と言われてうなずくことはできないが、見城の分析はデータを見る限り、ポイントを押さえていることがわかる。全国のTSUTAYAとTポIAYAとTポイント提携書店のPOSデータを分析するサービス「DBWatch」によると、『日本国紀』は刷り部数相応に売れており、百田のオピニオン系の書籍も数字が動いている。ここから「強いファン層」が実際に存在し、歴史観に共鳴していることは容易に推測できる。
 であればこそ、初版以降、多くの修正が出たことについてどう考えるか。批判が集中したウィキペディアからのコピペ、他文献からの盗用があったのではないかという幻冬舎から反論や見解を出していない。百田自身は率直にこう語っているにも関わらず、だ。

「間違いはいくつかありました。恥ずかしいミスもありました。僕の不徳の致すところです。そこは申し訳ないです。
 いろいろな資料のなかにウィキペディアもあります。ですが、自分でも裏取りし、調べた上で書いています。参考文献はおびただしくあります。他の通史の本の巻末をみてください。巻末に参考文献を掲載していない本は他にもあります。なぜ僕の本だけ批判されないといけないのかがわかりません」

 見城の見解「この程度の修正はよくあることでしょ。校正をいくら重ねても出てしまうもので、版を重ねて修正するのはどの本でも当たり前のようにあること。うちの本にも、他社の本にもありますよ。今の修正なら、僕の判断で(正誤表は)必要ない、と決めました」

 同席した高部は、現場レベルでの校正は丁寧にやったと強調した。
「校正について言えば、普通の本の3倍以上はやっています。通史で全部のファクトを細かくチェックしていけば、校正だけで5年はかかります。監修者の協力も得て、一般書としての最高レベルでやりました。それでもミスは出てしまう。それは認めるしかありません」

 高部の見解を引き取り、見城はさらに強い口調で、はっきりと語る。

「こちらにやましいことは一切ない。ある全国紙から何度も、コピペ問題について取材依頼が来ましたが、応じるまでもなく、どうぞ好きに書いてくださいというのがこちらの考え。ウィキペディアを含めてさまざまな文献を調べたことは当然、あったでだけど、そこからのコピペで、これだけ多くの読者を引きつけられるものは書けない。この件も百田尚樹だから批判が出るのでしょう。安倍さんと近いとか、そんなことが大きな理由じゃないですか」

 両者一致して、売ることが目的と述べています。事実誤認については、百田は「僕の不徳の致すところです。そこは申し訳ないです」と非を認め、担当編集者の高部も「ミスは……認めるしかありません」と述べていますが、見城は「この程度の修正はよくあること……僕の判断で(正誤表は)必要ない、と決めました」と強気の姿勢です。
 コピペ疑惑については、百田は「自分でも裏取りし、調べた上で書いています」と反論し、見城は「こちらにやましいことは一切ない。ある全国紙から何度も、コピペ問題について取材依頼が来ましたが、応じるまでもなく、どうぞ好きに書いてくださいというのがこちらの考え」ときっぱり断言しています。
 筆者は、「強いファン層」が実際に存在し、歴史観に共鳴していることは容易に推測できる、としていますが、さらに次のようにも述べています(88〜89ページ)。「強いファン層」と「ふわっとした購買層」はどちらが多いのでしょうか。

データから示唆されるのは「『日本国紀』は売れているから、話題になっているから買ってみよう」という層が一定数いること、そして百田は「強いファン層」だけでなく、こうした「ふわっとした購買層」までリーチしていることである。


WGIP洗脳説にオリジナル解釈
 「第三章 敵を知れ」では、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)を取り上げています。WGIPは戦後間もないころGHQが行ったとされる情報政策ですが、右派陣営が自分たちにとって不都合な歴史事実を否定するのに、好んで引用します。百田は、これに次のような独自の解釈を施し、WGIPは1960年頃から「時限爆弾」のようにじわじわと浸透していったと主張しているそうです(91〜92ページ)。

 百田史観の中でも、百田が幾度も強調し、見城が『日本国紀』の「ハイライト」と豪語したのが、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)をめぐる記述だ。最新の歴史学と百田史観を比較してみよう。WGIPはGHQの情報政策で、右派論壇の中では「第二次大戦について、日本人に罪悪感を持たるための洗脳工作」といった趣旨で使われることが多い。
 百田も右派論壇の「定説」を踏まえている。加えて、WGIPは戦前教育を受けてきた世代が多数を占めていた1960年前後までは効力を発揮しなかったが、戦後教育を受けた世代の間で「時限爆弾」のようにじわじわと浸透していったという「オリジナル」解釈を披露している。戦後すぐに小学校に入学した世代、その後の団塊世代はWGIP洗脳世代であり、彼らは日の丸、君が代、天皇、愛国心などを全否定し、「自虐史観」に囚われ日本国憲法を賛美した。彼らがメディアを牛耳り、「反日」報道をリードしていくというのが百田史観の基本的なストーリーだ。

「占領後は朝日新聞を代表とするマスメディアが、まさしくGHQ洗脳政策の後継者的存在となり、捏造までして日本と日本人を不当に叩いていたのだ」(『日本国紀』) 

 著者は、江藤淳の「占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間」がこれらの主張の嚆矢となったと指摘しています。この論述は1983〜86年の『諸君!』に掲載され(一九八四年の保守論壇 (一)――現代の日本における歴史修正主義や、いわゆるネトウヨ現象と呼ばれるものの震源地の一つが雑誌『諸君!』だったか?)、1989年に「占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間」として文藝春秋から出版され、1994年に文春文庫で出版されています。
 著者によれば、このWGIP論については、歴史学者の関心は非常に低く、保守系の歴史学者として知られる秦郁彦も「陰謀史観」で批判的に検証しているそうです。
 著者は、この問題についての歴史学からの成果として、2018年に出版された賀茂道子「ウォー・ギルト・プログラム: GHQ情報教育政策の実像」 を高く評価しています。江藤は、GHQは全国紙に掲載させた連載「太平洋戦争史」と、そのラジオ版「真相はこうだ」によって、侵略戦争という歴史観を日本人へ植え付けたと主張していますが、賀茂によると、「太平洋戦争史」では侵略という視点は重視されていないということです(GHQが「洗脳」?実態は 賀茂道子さん、保守論壇「自虐史観植え付けた」説を史料で探る)。
 著者は、賀茂への取材の結果を次のようにまとめています(93〜97ページ)。

 私は賀茂に会うために名古屋大学まで向かった。東京駅から乗った新幹線の道中で、賀茂と江藤の本をあらためて読み比べ、質問事項を整理していた。そこで感じたのは、史料の当たり方、検証の度合いの歴然とした差である。江藤は限られた文書をもとに、自分の「論」を展開することに執着する。逆に賀茂は可能な限り史料を集め、相互に読み解きながら、言葉に定義を与え、全体像に迫っていく。彼女は私の取材にこう話す。

「90年代に『自虐史観』という言葉が広がってから、WGIPも広がるようになりました。ですが、占領期の多くの史料を見るとそもそもWGIPという言葉は、GHQの一文書にしか使われていないものです」

 右派論壇の中でおなじみのWGIPという言葉自体、実はGHQ内部で積極的に使われたものではなかったというのは驚きである。歴史学では、一つの史料だけに依拠せずさまざまな史料を突き合わせて、矛盾はないか、正当な記述と言えるかどうかを徹底的に検証する。イデオロギーではなく、実証的に歴史を捉えるためのプロセスだ。賀茂への取材でわかったのは、右派が「洗脳説」の根拠とする文書は1948年2月に出されたもので、日本人に東條英機を賛美する動きがあることを理由に「新たな施策を行うべきだ」という勧告にすぎないものだった。さらに、彼女が解き明かした最も重要なポイントは「勧告に沿った施策は大半が実行されなかった」ことだ。
 実行していない政策の影響力というのは評価のしようがない。当時、GHQの担当者たちが重視していたことの一つが、日本軍による連合軍の捕虜虐待や、フィリピマニラで行った虐殺行為を知らせることだった。「日本人は戦時のルールを逸脱する卑怯な戦争をした。GHQはそれを周知させようとしていた」と賀茂は言う。彼らが情報政策に力を入れていたのは、終戦直後の1945年10月から46年にかけてだった。
 ……
 仮に狙った通りGHQによる「洗脳」が成功していれば、そして百田史観が正しければ、戦後教育を受けた世代以降で、マニラで起きたこと、捕虜虐待が語り継がれているはずだが、戦中の日本国内に捕虜収容所が約130ヵ所も存在していたことすら今の日本で知られているとは言えない。それどころか、マニラで何が起きていたかを知っているという人は超少数派だろう。
 日本軍が「戦時のルールを逸脱していた」という論点で語られる記事や番組がどれだけあるだろうか。「WGIP洗脳説」は百歩譲って「物語」としては面白いのかもしれないが、歴史的な事実と断じるにはあまりに根拠が薄過ぎることがわかるだろう。

 以上のように著者は、百田の唱えるWGIP洗脳説の論拠を否定し、「南京大虐殺」まぼろし論について、次のように百田にインタビューしています(97〜98ページ)。

 南京事件(1937年)についても同様である。百田がいわゆる「南京大虐殺」まぼろし論に最初に触れたのは、松本修との雑談の中だった。松本はこう証言する。

「正確な時期は忘れましたが、いつものように雑談をしていた中で、僕が元日本軍兵士が書いた南京大虐殺はなかったという話を紹介したんです。他意はなく『最近、こんな話読んだんや。おもろかったで』といった感じで話しました」

 今でも百田はインタビューに対し、「一部の兵士による殺人はあったかもしれないが、組織的な命令で行った虐殺行為はない」と語っている。より正確に再現しよう。私の質問は、「南京事件が『なかった』と書く時、それは犠牲者の数の問題なのか。あるいは、本当に何もなかったと言っているのか。どちらなのか」だった。百田は少し間を置いて答えた。

「これは難しい。何人が大虐殺なのかという問題はありますよね。殺人事件は今も起きています。戦争状態の南京で、兵士などによる殺人などの犯罪行為が一切なかったということもありえない。平時より犯罪率はアップするでしょう。しかし、軍の命令による組織だった虐殺と、一部の兵士の犯罪行為を一緒にしてはいけない。日本軍は中国のあらゆる都市を占領しましたが、南京以外の虐殺事件は聞いたことがないです」

 百田はインタービューの中で、南京事件の証拠はなく、「日本が中国にともに研究しようと言っても、中国は拒否しているはずです」と述べていますが、これに対して著者は次のように反論しています(99〜101ページ)。

 歴史学のスタンダードな考え方、現在の成果を踏まえておこう。南京事件は右派と左派との間で激しい論争が起きている、という理解は正しくない。『「日中歴史共同研究」報告書第2巻』(勉誠出版、14年)という史料がある。インタビュー時に百田にも現物を確認してもらった。
 これは06年、当時の首相だった安倍と中国の胡錦濤国家主席の間で、意見が一致し始まったものだ。近現代史も研究対象に含め、日中の歴史研究者による共同研究プロジェクトが立ち上がった。彼らは2006年12月~2008年5月にかけて計6回の会合を開いたほか、委員同士の個別会合や現地視察なども取り入れ、研究を重ねていった成果が報告書という形で発表されている。
 左派的な学者ばかりを集めた研究、という指摘も全く当たらない。日本側の座長は安倍ブレーンの一人、北岡伸一である。この報告書では「南京攻略と南京虐殺事件」という項目が設けられ、中国側だけでなく、日本側の研究者も「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と記述している。さらに当時の報道体制についても触れ、「日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ、さらに陸軍中央部にも伝えられていた」という記述もあった。
 しばしば、議論になる犠牲者数も報告書では「日本側の研究では二十万人を上限として、四万人、二万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、『虐殺』(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している」という表現でまとめた。百田自身は、インタビューでここに挙げられた数字を読みながら、「根拠がない」と一蹴していたが、本当に根拠がないものだろうか。
 百田にとって最も重要なのは史実的な「正しさ」ではない。百田が繰り返したのは、「正しい歴史」を書いたのではなく、自分の視点で「面白い歴史」を「物語」として書いたということだった。彼にとって、大事なのは「面白い」ことであり、それは専門家からすれば時に突飛な解釈や語り口にこそ現れる。プロの歴史家とは、基本となる考え方そのものが違う。批判がすれ違う理由がここにある。

 前述のように、百田は、「売れることが一番大事」と述べるとともに、「僕は歴史で大切なのは解釈だと思っています。事実は曲げられませんから、事実に基づき、史料と史料の間を想像力で埋めて書いたのが、僕の解釈による通史です」とも述べています。
 しかし、安倍ブレーンが座長を務めた研究報告に示された歴史事実を「根拠がない」と一蹴するのでは、事実を無視して想像で歴史物語を書くのと変わりはないのではないでしょうか。

「ごく普通の人」の心情に訴える
 ヘイト的言動ばかりではなく、偏った取材や一方的な事実認識に基づく記述など、百田作品には様々の問題がありますが、それにもかかわらず多くの読者の支持を得ています。
 著者は、「第四章 憤りの申し子」で、次のように述べ(110〜111ページ)、その理由について、百田が「ごく普通の人」の心情に訴えかけているからではないかと、推論しています。
 第一章で読者が百田のことを「えっこんなことを言っても大丈夫なのというようなことも、人目を気にせずに語っている。そこが、スカッとして気持ちがいい」と評していた。その「気持ち良さ」とは何か。百田がリベラル派からみれば問題発言を続けながら、いまだに多くの読者を獲得し、言動で心を掴んでいる。
 ここまでの取材を踏まえると、こんな仮説が浮かび上がる。愛する日本を批判する中国と韓国への「怒り」を爆発させ、朝日新聞という「反日」の大マスコミを批判する言葉、そして「朝日新聞」というリベラル派が声高に批判できない――と彼らが思っている――「韓国」という対象を批判していく強い言葉は、ネット上に渦巻く非マイノリティポリティクスと相性が良い。そして、保守層や「ネット右翼」にとどまらない層に届いている。彼はこの点において言えば、憤りの申し子である。マジョリティーである「ごく普通の人」は多かれ少なかれ、中韓への違和感や疑義を持って、生活している。百田の言葉は「ごく普通の人の潜在的な感覚」の延長線上にあるのだ。 
 著者は、「ごく普通の人」を示すデータとして、木村忠正「ハイブリッド・エスノグラフィー:NC(ネットワークコミュニケーション)研究の質的方法と実践」2018/10/31に示された、次のようなウェブアンケート調査結果を紹介しています。
  保守志向層 リベラル層
大戦の日本の行為は常に反省する必要がある 58.7  70.2 
孫、ひ孫の世代が謝罪を続ける必要はない  76.2  78.3 
いつまでも謝罪を求める国は行き過ぎだ  78.9  81.4 
 「大戦の日本の行為は常に反省する必要がある」と思っているのは、リベラル層がやや多いものの、保守リベラルにかかわりなく8割が、中韓から求められる謝罪に反発しています。
 この研究によると、次のように(103〜104ページ)、ヤフーニュースのコメント欄の書き込みにも、同様の風潮が見られるということです。
 こうした反発はインターネット上の空気とも関連している。それを示唆する調査もある。日本最大のニュースサイト、ヤフーニュースのコメント欄に書き込まれたデータを、ヤフーからの提供を受けて木村が分析した。そこで見えてきたの書き込みの強い動機に(1)韓国、中国に対する憤り(2)少数派が優遇されることへの憤り(3)反マスコミという感情があるということだ。
 木村はこれに「非マイノリティポリティクス」というキーワードを与えている。本来、数の上ではマジョリティーなのに、マジョリティーとしての利益を得ていると実感できない人々が声を上げる。これがネット世論をめぐる政治だ。リベラルが標榜してきた社会的弱者やマイノリティー権利擁護、さらに中韓についても「なぜ自分たちより『彼ら』が優遇されるの
 さらに、著者は、永吉希久子ほか「ネット右翼とは何か(青弓社ライブラリー)」2019/5/28 の「オンライン排外主義者」という考え方を紹介しています。この研究では、ネット右翼を「@中国・韓国への否定的態度A保守的政治志向の強さBネット上の意見発信や議論への参加経験」と定義していますが、オンライン排外主義者は、Aの志向が弱く、保守とリベラルの中間に位置づけられるとしています。そして、「反中・反韓の空気は社会全体に広がっている」と指摘しています。
 著者は次のように述べ(107ページ)、反中・反韓がネット世論と世論が共鳴するテーマであり、百田への支持がネトウヨ以外にも広がる要因であることを示唆しています。

 これまで、ネット内のコメントは一部の過激な人たち、ネトウヨが書き込んでおり実際の世論とは懸け離れていると考えられてきた。しかし、木村や永吉が実証的に提示するのは、ネット世論と世論が文字どおりの意味で共鳴するテーマがある、という新しい考えだ。それが「韓国」と「中国」である。
 松本によれば、『探偵!ナイトスクープ』の企画会議でも「20年ほど前(注:取材は2020年1月)から、反中国、反韓国的な見解を語っていた」という。側から見れば眉をしかめるような言葉も、本人の感覚からすれば、日常的に語っていたことの延長にすぎない。
 百田の言葉、特にツイッターの言動はこれまでなら「言論人」として終わりと見なされるものだった。「韓国という国はクズ中のクズです!もちろん国民も!」といツィートは、ヘイトスピーチと批判されて、おかしくないどころか、批判は当然のことだが、一方でそれなりの数の賞賛もあるというのが、この社会の現実だ。

フォロワーが27.5万
 百田は、「X」で2023年2月12日に次のように述べています。
 「売れなくなった」とはいっても、年間100万部近く売れているのですから、超高額所得者といえます。「売れなくてもいいから、書きたいものを書く」という姿勢は、評判は気にせず、右寄りの発言を続けることに通ずるのかもしれません。

 2015年以来、百田の政治的発言の舞台は、DHCテレビの「真相深入り!虎ノ門ニュース」でしたが、2022年11月18日に、突然終了してしまいました(「虎ノ門ニュース」終了でどうなる右派動画業界〜あっけない巨大右派番組の終焉と今後〜)。それに伴い、百田は政治的発言の舞台を、インターネット番組「百田尚樹・有本香のニュース生放送あさ8時!」に移しています(百田尚樹氏&有本香氏のネット新番組開始 終了した「虎ノ門ニュース」の志を受け継ぎ 「首相になってほしい人」や「SHEIN」潜入調査などがテーマに)。
  百田は、2023年9月に、日本保守党を立ち上げたところ、アカウントのフォロワーが、27.5万に達したということです(百田尚樹「今の自民党は大嫌い」 15日で27.5万フォロワーの“日本保守党” 立ち上げた真意 )。

つくる会現象と百田現象の断絶
 「第五章 破壊の源流」では、百田現象の土壌は、1990年代の「新しい歴史教科書をつくる会」の動きに始まるとする、若手社会学者の倉橋耕平の分析を紹介しています。倉橋の主著には、サブカルチャーを拠点に登場した歴史修正主義の動きに注目した、倉橋耕平「歴史修正主義とサブカルチャー」青弓社、2018年があります。
 倉橋は、この著作で歴史修正主義について、次のように説明しています。
 まず、本書の関心の中心である「歴史修正主義 History Revisionism」とはなにか。日本では歴史修正主義という呼び方が定着しているが、修正主義 revisionism はそもそも悪い意味だけをもつ言葉ではない。歴史は常に修正されうる。だが、海外に目を向ければ「ガス室などなかった」と主張するホロコースト否定論者が「歴史修正主義者」を名乗って活動したという文脈がある。他方、日本では、戦後の歴史観を「自虐史観」だといってその相対化を試みたり、「東京裁判史観の克服」を主張したり、「慰安婦は売春婦で、反日勢力の陰謀」と言ったり、「南京大虐殺はなかった」と過去の歴史を否定する勢力が、慣例的に「歴史修正主義」と呼ばれるに至っている。その意味で、私たちが学問分野のなかで呼んでいる「歴史修正主義」とは、実際のところ「歴史否認論」「歴史否定論」にほかならない。とはいえ、本書ではこれらの含意を維持しながら、慣例に沿って「歴史修正主義」と表記する。
 「修正」は「間違いを正す、不足を補う」といったプラスのイメージの言葉ですが、「歴史修正主義者」には「ホロコースト否定論者」という特別の意味が込められています。
 文芸春秋社のマルコポーロという雑誌は、ホロコーストを否定する論文を掲載し、国際的な問題となって、廃刊となり花田紀凱編集長も解任されています(陰謀説の危険 その9 雑誌「マルコポーロ」の記事がなぜ反ユダヤとされたのか)。
 歴史修正主義者は、「ヒトラー署名の絶滅命令書がない」ということなどを論拠としているようですが(横浜市立大学新叢書 13『アウシュヴィッツへの道〜ホロコーストはなぜ、いつから、どこで、どのように』(2022‐03 刊)を比較素材に、―ロシア・プーチン政権のウクライナ侵略戦争との共通性と異質性を考える―)、一部分を否定することにより全体を否定するという手法は、南京大虐殺否定論と通じるところがあるかもしれません。
 倉橋は、歴史修正主義がどのようなメディアで展開されているかに注目して、次のように分析しています。サブカルチャーは、論者によって捉え方は様々ですが、倉橋は、自己啓発書、保守論壇誌、週刊誌、マンガなどの商業出版などをサブカルチャーと呼んでいるようです。
 本書が問いたいのは、この部分である。すでに述べたとおり、歴史修正主義の主張は学問のフィールドでは共感も評価も得ていない。学術出版社も距離を置いているのが現状である。他方で、歴史修正主義と親和性が高いのは、本書のなかで扱うビジネス系の自己啓発書、保守論壇誌、週刊誌、マンガなどの商業出版とインターネットである。それらは、言説内容の正しさよりも「売れる」かどうかを優先する「文化消費者による評価」を至上命題としているメディアである。テレビのバラエティー番組も視聴率重視、インターネットも閲覧数至上主義という側面が大きい。したがって商業メディアは、いわゆる「政治」には不向きなメディアと言われてきた。にもかかわらず、歴史修正主義者の主張が商業メディアで展開されるのだとしたら、その手法にこそ政治的側面を読み取ることができるのではないか。
 著者によると、倉橋の主張のポイントは、右派現象はアマチュアリズムと融合して形成されていると指摘している点にあるということです。
 小林よしのり、西尾幹二、藤岡信勝は、次のように、1990年代に歴史関係のベストセラーを出版し、「新しい歴史教科書をつくる会」の中核になっていますが、いずれも歴史学の専門家ではありません。
小林よしのり 新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 幻冬舎(1998/07発売) 漫画家
西尾幹二 国民の歴史 1999/10/1 ドイツ文学者
藤岡信勝、自由主義史観研究会 教科書が教えない歴史 1996/8/1 教育学者
 小林、西尾、藤岡にとって、百田尚樹は後継者のはずですが、次のように、日本国紀をあまり評価していません。著者はこれについて、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーと百田尚樹の間には「断絶」があると捉えています。
小林よしのり 『戦争論』に影響を受け、市場の力を見せつけている百田の存在は小林の目にどう映っているのか。「地ならし」し、市場を作ったと語る小林は、しかし「ネトウヨ」には非常に批判的であり、百田についても「わしが昔やってたことの真似をしてるだけなんだけど(笑)」(小林よしのり、ケネス・ルオフ『天皇論「日米激突」』小学館新書、19年)と手厳しい評価を下している。(123ページ)
藤岡信勝 「百田さんは『日本国紀』の中でいわゆる三王朝交代説(注:天皇家の万世一系を否定し、崇神、仁徳、継体の各王朝に分かれ、継体天皇が現代の天皇の始祖であるとする学説。現在の学会では有力視されていないもの)を支持しているかのように書いていますが、これは間違いでしょう。言葉の定義をせずに、ムードで書いている気がします」(124ページ)
西尾幹二 「『日本国紀』はちょっと読んだけど、あまりちゃんとは読んでいないんですよ。推薦?あぁあれは頼まれたから書いただけです」
……
「『国民の歴史』と『日本国紀』を並べて、あるいは比較して論じられていますが、西尾さんはそのことをどう思っているんですか?」(125ページ)
……
「書いた動機が違うんだよ。僕には、僕の人生観や文学観や哲学観があって、そこに教科書問題がぶつかっただけの話であり、『国民の歴史』にはそれが反映されているはずだ」(126ページ)
 そして、次のように述べ(127ページ) 、90年代と2010年代の違いはどこにあるのかを探るために、「新しい歴史教科書をつくる会」のディープストーリーを知る必要があると述べています。そして、「第二部 1996 時代の転換点」へと、話は進みます。つまり、第一部は「百田現象」を扱い、第二部は「つくる会現象」を扱うという構成になっていますが、第二部が全体の6割を占めています。「つくる会現象」では、小林、西尾、藤岡の3氏を取り上げ、経歴や思想、作品内容を詳述しているので、分量が多くなったと思われます。
 彼らが抱えている「断絶」にこそ、百田尚樹が「現象」となる時代を読み解く鍵があるとわかったのは、さらに取材を進めてからだった。「90年代の衝撃」を生み出した「つくる会現象」の主役たちは何に突き動かされていたのか、90年代と2010年代の違いはどこにあるのかを記す必要がある。現代を象徴する百田現象は、現代だけを抜き出して考察していても、理解できないことを小林たちの言葉は指し示している。
 百田尚樹現象はいっときの現象ではない。90年代に作られた土壌から出てきたものだが、「現象」の中身は大きく変質している。時代の転換点を作り出した「新しい歴史教科書をつくる会」のディープストーリーを知ることは、2020年代に差し掛かった日本社会が「なぜ、こうなってしまったのか」を解き明かすことにつながる。
 私もまた百田現象とつくる会現象の類似点に着目した。表層的な言葉や使う論理の一致点に着目した。だが、一連の取材を終えてそのアプローチは間違っていたことに気づかされた。
 百田現象は「新しい現象」である。
 「新しい歴史教科書をつくる会」は、藤岡が、西尾、小林らを誘い、1996年末に結成会見を開きます。阿川佐和子と林真理子も呼びかけ人リストに入っていたものの会見には出席せず、活動に積極的に関わることもなかったということです。
 結成から3年足らずの「新しい歴史教科書をつくる会」は、次のように内部対立が激化し、さらに、3分の1程度できていた教科書は、西尾の鶴の一声で全面書き直しとなります(279〜281ページ)。
 99年には会の運営方針をめぐって、副会長同士の濤川と藤岡の間で対立が激化した。小林の発案で両者が副会長を降りて、高橋史朗が副会長ポストに収まったものの、納得がいかない濤川は「たかが一漫画家」と小林を非難した。藤岡も藤岡で同年9月の総会で「漫画はフィクション」と発言し、これも小林の怒りを買った。一連の騒動はすべて『新ゴー宣』に描かれた。

「学者って普通じゃない頑固さなんですよ。わしはもっと常識人だから、ちゃんと常識的な言葉で説得していくし。後は、わしがそのけんかの様子も全部漫画に描いちゃうからな。それをみんなが恐れていた」

 坂本が中心になって進めていた教科書はどうだったのか。98年10月の刊行から一息ついた西尾は決断を迫られていた。2000年4月には文部省に検定を申請しなければならない。3分の1程度はできていたが、これを読んだ西尾には「他の教科書と差がない陳腐」なものに映った。これでは、何のために「新しい」と言ったのかわからない。西尾は会議室に執筆メンバーを集めて、すべてを一から書き直すと宣言した。
 西尾が代表執筆者となり、藤岡とともに教科書をすべて書き直すことを決め、項目から選びなおした。「1章あたり見開き1ページか2ページで、事実関係を押さえながら、カラーも打ち出すというのはかなりの力量」が求められる。小林にも執筆を依頼し、年が明けた2000年1月には追加依頼も出した。小林は伊藤とも綿密に連絡を取り合い、現代史のパートを完成させた。
 小林は当時を振り返り、歴史とは簡単に書けないものだと語った。彼には歴史を描くことへの畏怖がある。

「そりゃあ真剣にやったよ。歴史を書くなんて簡単にはできないのよ。歴史を書て裏付けのないことも書いていいということではないんだから。本気で通史を書ら、短期間では絶対に不可能だよ。教科書まで書いたからわかるもの」

 西尾は古代史、藤岡はずっとこだわってきた明治維新前後のパートを、すべて批判された坂本は江戸時代と戦後史を担当することになった。坂本は西尾の決定に不服を唱えることをせず一言、「大義だ」とだけ言ったという。 
 2000年、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書(扶桑社が発行)は、検定には合格したものの、2001年の採択では1%にも届かないという惨敗に終わります。2002年、小林が脱退し、2006年、名誉会長となっていた西尾も退会します。
 2006年の採択でも1%にも届かないという惨敗が続き、「つくる会」は分裂し、残ったメンバーは、新たに自由社の教科書を執筆し、脱退したメンバーは「日本教育再生機構」を設立し、扶桑社(2007年に育鵬社が継承)の教科書を執筆することとなります。
 自由社の教科書の採択は、その後も低迷し、2020年の検定では一発不合格となっています(『新しい歴史教科書』の不可解な「一発不合格」??教科書検定の不正を告発する)。
 一方、育鵬社の教科書は、採択を6%前後に延ばしてきたものの、2021年の採択では1%前後に激減しています(歴史教科書「なぜ採択?」育鵬社版を継続の大田原市に声)。
 「つくる会現象と百田現象の断絶」について、著者は次のように検証しています(314ページ)。 つくる会メンバーが大切にしていた思想や「情」は蒸発し、百田尚樹現象はイデオロギーばかりを重視する表層的な理解でしかないという説明は、ややレトリックに走りすぎて、何か良く分からない話です。
 つくる会が掘り起こした土壌は、「反権威」的なスタイルと、「普通の人々」を狙うことだけが引き継がれ、2019年に百田尚樹現象と接続し、非マイノリティポリティクスを支えている。だが、そこにはかつて成立していた思想も西尾が大切にしていた言論人としての姿勢も、小林が最も大切にしている「情」も蒸発し、今や何も残っていない。「自虐史観の克服」という最大の目標で彼らはつながっているように見えるが、それはイデオロギーばかりを重視する表層的な理解でしかない。
 歴史を主戦場としながら、歴史が断絶している。つくる会現象でも用いられた「自虐史観」に象徴される言葉は、百田本人やその周辺も積極的に使っている。だが、言葉の文脈はつくる会主要メンバーのそれとは、違っている。前者は実存を賭けていたが、百田現象はもっと軽い形で使われるものへと意味が変化している。