読書ノート / 社会
 2015/2/4
 創価学会の研究(講談社現代新書) 
編・著者 玉野和志/著
出版社 講談社
出版年月 2008/10/20
ページ数 213
判型 新書
税別定価 720円
 総務省の選挙関連資料から、最近の国政選挙における公明党の得票数を調べてみると次のようになりました。このデータからは、多少の増減はあるものの得票数700万以上、得票率13〜14%を維持しています。仮に公明党の得票数=創価学会の会員とすると、棄権した人や選挙権を持たない世代も含めて、創価学会の会員数は優に1000万を超えることになります。これは、宗教団体ではダントツの規模といえるでしょう。幸福実現党の得票数が20〜40万票ですから、幸福の科学は創価学会の20分の1以下の規模と見てよいでしょう。 
比例区得票数 比例区得票率 投票率
2014/12/14衆院選 7,314,236 13.7 52.65
2013/7/21参院選 7,568,082 14.2 52.61
2012/12/16衆院選 7,116,474 11.8 59.32
2010/6/16参院選 7,639,432 13.1 57.92
2009/8/30衆院選 8,054,007 11.5 69.28
2007/7/28参院選 7,765,329 13.2 58.63
2005/9/11衆院選 8,937,620 13.3 67.46
2004/7/11参院選 8,621,265 15.4 56.54
2003/10/10衆院選 8,733,444 14.8 59.81
2001/7/22参院選 8,187,804 15.0 56.4
2000/6/2衆院選 7,762,032 13.0 62.49
1998/7/12参院選 7,748,301 13.8 58.8
1986/7/6参院選 7,438,501 71.3
1977/7/6参院選 7,174,459 68.49
選挙区得票数 選挙区得票率 投票率
1993/6/18衆院選 5,114,351  8.1 67.26
1983/12/18衆院選 5,745,751 10.1 67.94
1969/12/27衆院選 5,124,666 11.0 67.51
 ところで、公明党の衆院小選挙区議員は、東京・大阪などの大都市部を選挙基盤としています。その意味では都市型政党と呼べなくはないのですが、次のグラフが示すように、比例代表の得票率では西高東低となっており、特に福岡・九州での強さが際立っています(新・都道府県別統計とランキングで見る県民性)。

 創価学会は、このように飛び抜けた規模を誇る宗教団体ですが、何か秘密結社のようで、その実態は謎めいているようにも感じられます。そこで、創価学会の成り立ちや、組織の実態を客観的事実から理解したくてこの本を読むことにしました。
 創価学会に関する本は、学会を礼賛、宣伝するものと、批判、告発するものとの両極端に分かれているように思われます。では、本書はどのような立ち居地にあるのでしょう。この点については、著者は次のように述べています(206ページ)。、

 数年前に『東京のローカルーコミュニテイ』という本の中で、創価学会について書く機会をもった。本書は、それを読んだ編集者が出版を勧めてくれたものである。それゆえ本書のかなりの部分は、前書ですでに紹介した内容を、少し書き改めたものになっている。その後、創価学会からも何度か取材を受けることがあって、学会の出版物に私の発言が掲載されるということがあった。ネットの世界では、すでに私は学会絶賛記事を書いている大学関係者の一人としてリストアップされているようである。
 確かに私は創価学会に不必要に批判的ではないので、そのようなそしりを受けても仕方がないのだろう。しかし、前書のように調査に協力してもらった方々を悪くいうこともない事情や、わざわざ取材にきた当事者を悪くいうこともない状況ぐらいは理解してもらいたいものである。もちろんその時点ですでにつけこまれているのだといわれればそのとおりだが……。

 学会を礼賛するものではないが、必ずしも批判的ではないということでしょうか。本書は、大体において客観的な叙述となっていますが、本質的な部分で学会擁護の傾向はないのでしょうか。
 本書の内容は次のようになっています。

第1章 学会員たちの信仰生活
第2章 創価学会の基礎知識
第3章 創価学会についての研究
第4章 創価学会の変化 
第5章 これからの創価学会 

「第1章 学会員たちの信仰生活」では、学会員の信仰内容を具体的なエピソードを交えて紹介しています。
 学会員は、御本尊を仏壇に供え、勤行(ごんぎょう)を行います。御本尊は板曼荼羅(いたまんだら)とも呼ばれる長方形の板や紙です。中央に南無妙法蓮華経と書かれ、その周囲に諸尊の名前が書かれています。本来は日蓮正宗の法主(ほっす)の直筆によるものですが、学会は宗門から破門されたため、現在では複本を使っているようです。
 一般的には、仏壇には、小さな仏像が安置してあるようですが(我が家には仏壇がないので確認できませんが)、学会は偶像崇拝はやらないということなのでしょうか。それについて、学会の公式サイトには特に説明はないようです。「正宗では、彫刻した仏像形式の本尊は認めない」そうですから(大安寺Web/日蓮宗と日蓮正宗の違い)、日蓮正宗が偶像崇拝はやらないということなのでしょうか。
 学会の公式サイトによると、勤行とは御本尊に向かい、法華経の二十八の品(=章)のうち、「方便品」と「寿量品の自我偈」を読み、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることだそうです。
 会員の活動は、勤行、教学(日蓮教義の学習)、折伏(しゃくぶく、布教活動)の3つです。さらに、座談会によって、会員同士の交流と結びつきを高めます。
 また、聖教新聞を3ヶ月以上購読していることが入会の条件です(入会について)。聖教新聞の購読料は1か月税込1934円ですから、一般紙の統合版(3000円程度)よりもお得ですが、12ページと分量は少なめです。部数550万部ということですから、年間1320億円の売り上げとなります。因みに、共産党の赤旗は3497円と少し高めで、部数は24万部です。
 このほか、財務と呼ばれる会員の寄付が学会の財源となります。
 「第2章 創価学会の基礎知識」では、学会の歴史と組織を解説しています。
 創価学会の前身は、教育者であった牧口常三郎を会長として、教育改革を目的として1930年に設立された創価教育学会です。牧口会長が日蓮正宗に帰依したことにより、創価教育学会は社会改革を目指す、日蓮正宗の在家信者組織へと変化します。会員は3000人ほどだったそうです。
 しかし、やがて天皇制ファシズムによる思想統制が及ぶようになり、日蓮正宗はそれに屈したものの、信者団体である創価教育学会は抵抗を貫いたため、1943年、牧口会長、戸田城聖理事長ら学会幹部が、治安維持法、不敬罪容疑で逮捕、投獄され、1944年、牧口会長は73歳で獄死し、組織は壊滅します。
 敗戦で戸田理事長は1945年出獄し、1946年に「創価教育学会」を「創価学会」と改称し、1951年に第2代会長就任し、1958年に死去したときには、会員75万世帯を数えるまでに急成長していました。戸田理事長は「1930年(昭和5年)6月には、時習学館で使ってきた算数のプリントを一冊にまとめ、『推理式指導算術』を出版。受験参考書として、100万部を超えるベストセラーとなり、“受験の神様”との異名までとりました」(戸田城聖第二代会長|創価学会公式サイト)ということですから、実業家としての才覚があったようです。
 第2代会長池田大作のもとでさらに発展を続け、1970年に会員750万世帯に達し、現在は827万世帯だそうです。国政選挙における得票数を見る限りでは、1970年代以降、会員数は頭打ちのようです(2000年意入って、与党効果からか得票数が増えましたが、最近はその効果も薄れ気味のようです)。 
 創価学会は、1950年代以来の拡張期を経て、1970年代以降、次のように、いくつかの転機を経ています。なお、学会の公式サイトでは、これらの動きについては、全く触れられていません。 
折伏大行進 1950年代 強引な勧誘活動を行い社会問題となる
言論出版
妨害事件
1969〜
70年
藤原弘達『創価学会を斬る』の出版を学会や公明党の幹部が妨害した事件。自民党の田中角栄幹事長が公明党委員長の依頼で動いたことが国会で問題となる。学会・公明党は組織を分離し、言論の自由尊重を宣言する
創共協定 1974年末 創価学会と共産党が互いに誹謗中傷しないことで合意。公明党が強く反発したため、死文化する
第一次宗門戦争 1977年 池田会長が講演で、出家も在家も同格と述べたことに、宗門が反発し。池田会長が謝罪し、最終的には学会会長と宗門の役職をすべて辞任する
第二次宗門戦争 1990〜
1991年
池田名誉会長の発言をめぐり、両者で文書のやり取りがあり、創価学会が宗門により破門される
 折伏とは、仏教用語で、相手を論破し強硬に教えの受け入れを迫る布教方法のことだそうですが、第2代戸田会長の時代に折伏大行進と称して強引な勧誘活動を行い社会問題となりました。しかし、半世紀以上も前の話で最近では強引な布教活動は行っていないようで、本書でもあまり詳しく述べられていません。
 言論出版妨害事件とは、藤原弘達の『創価学会を斬る』の出版を、創価学会が妨害したというものです。当時の関係者によると、1969年8月に出版予告を出したところ、「電話がジャンジャンかかってくる」「この抗議電話とともに、舞い込んだのが抗議の葉書や手紙でした。段ボール何箱分になったでしょうか。とにかくもの凄い数でした」「日販、東販という大手書籍流通会社をはじめ、のきなみ拒否」「そっと創価学会の圧力であることを教えてくれる業者もありました」「出版したものの、ほとんど流通には乗らず、書店にも置いてもらえないので、社員が現物を風呂敷に包んで書店回りをして、直談判で置いてもらえるように交渉し、やっとの思いで売って貰うという有り様でした」ということです特集/「言論出版妨害事件」を再検証する)。共産党がこの問題を追及し、また、公明党の要請で自民党の田中角栄幹事長(当時)が著者に出版中止を申し入れたことが明らかとなり、翌1970年には、国会でも問題となります。結局、池田会長が学会・公明党の組織を分離し、言論の自由尊重を宣言することにより、決着します。 
 本書では、この事件について学会の行動の当否には踏み込まず、事件が及ぼした影響を、第三者的立場から、客観的に検証しています。
 その影響として、@マイナスのイメージが定着し、学会スキャンダルがマスコミ・出版会の一ジャンルとして確立したこと、A公明党が田中角栄に恩義を感じそれが自公接近につながったこと、B政教分離による国立戒壇否定が日蓮正宗との確執を生むことになったこと、を挙げています。
 創共協定については、著者は、公明党の自立ということよりも、公共接近に公安当局が強く反応したことに注目しています。
 第一次宗門戦争については、学会には独立の意図があったが態勢が整っていなかったと著者は見ています。だからこそ、第二次宗門戦争では迅速で決然とした対応ができたとしています。 
 「第3章 創価学会についての研究」では、創価学会についての研究書を紹介しています。取り上げている書籍は次のとおりです。
佐木秋夫
小口偉一
創価学会―その思想と行動 1957
鶴見俊輔 折伏―創価学会の思想と行動 1963
村上重良 創価学会=公明党 1967
鈴木広 都市下層の宗教集団--福岡市における創価学会 1963
塩原勉 創価学会イデオロギー 1965
梅原猛 創価学会の哲学的宗教的批判 1964
ホワイト 創価学会レポート 1971
杉森康二 研究・創価学会(自由選書) 1976
谷富夫 聖なるものの持続と変容―社会学的理解をめざして 1994
島田裕巳 創価学会(新潮新書) 2004
ウィルソン
ドベラーレ
タイム トゥ チャント―イギリス創価学会の社会学的考察 1997
ハモンド
マハチェク
アメリカの創価学会―適応と転換をめぐる社会学的考察 2000

 「第4章 創価学会の変化」では、1970年代以降の変化について述べています。
 まず、高度成長が終わり、会員数の伸びが頭打ちとなる一方で、会員の社会的地位が上昇したことをあげています。
 次に、宗門から独立したことにより、地域の祭りに参加するなど開かれた組織になったことを指摘しています。
 著者は次のように述べて(166〜167ページ)、会員の社会的地位が上昇したことにより、自民党の支持層と創価学会会員の社会構造上の位置が、非常によく似て来たと指摘し、地域における自公接近を示唆しています。

 実は、地域における自民党の支持層と創価学会会員の社会構造上の位置が、非常によく似ているという事実が指摘できる。どういうことかというと、従来までの自民党の支持層は、これまで地域の町内会や自治会を支えてきた商店や工場を営む中小零細の自営業者たちであった。彼らの多くは戦前に地方から都心に流人し、地主から土地を借りて事業を始その地歩を固めつつあった戦後の高度成長期に、彼らより少し遅れて都市に流入し、やはり零細な自営業を営んだり、一般の店員や工場労働者として都市の下層に滞留していったのが、やがて創価学会へと組織されていく人々なのである。そしてこの創価学会の会員がその後、信教の力もあってか、その社会的地位を上昇させてきたと考えることができるのである。
 つまり、自民党の支持層から見れば、これまでは自分たちには及ばない、一段低い存在とみなされていた人々が、今では自分だちと同じように地方から都市に流入し、苦労してその地位を向上させてきた、いわば同朋とみなすこともできるような存在になってきたということである。

 1970年代の前半、公明党は一時野党色を強めますが、やがて自民党に接近して行くことになります。その事情を著者は次のように説明しています(174〜175ページ)。

 要するに、言論出版妨害事件から創共協定をめぐる共産党との絶縁以降、公明党はたとえ革新や野党の側に身を置いていたとしても、つねに一貫して共産党を排除する方向に動いていたといえよう。それはそのまま現状の支配勢力を打倒する方向ではなく、現実的で穏当な手段を講じて支配勢力に徐々に取り入って、そこに少しでも影響力を行使しようとする政治的方向性であった。それはそのまま創価学会の会員たちが、互いに励まし合いながら、革命を起こしたり、自分たちの要求を権利として勝ち取るというのではなく、資本主義と代議制民主主義の制度の枠内で、社会的な地位の向上と政府による庇護を期待するという生き方を選んでいくことに対応している。そして、それは創価学会が急激な会員の拡張期を終え、世代的な再生産へと進んでいく一九七〇年という時期を境にして、明確になっていった傾向なのである。


 「第5章 これからの創価学会」では、本書出版当時(2008年)の政治状況を踏まえて、将来の展望を語っていますが、その後の民主党政権の発足、崩壊、民主党の空中分解という経過をみれば、ややアップトゥデートな感じは否めません。