読書ノート / 社会
 2015/2/8
 折伏鬼 
編・著者 志茂田景樹/著
出版社 文芸春秋
出版年月 1980/10/25
ページ数 214
判型 18 x 12.8 x 2.2 cm
税別定価 絶版(古書で5000円〜)
 志茂田景樹が直木賞受賞直後に出した自伝的中篇小説集です。
 本書には次の3編が収録されています。「折伏鬼」は電子書籍として復刻され、アマゾンkindle楽天koboで読むことができます(創価学会をモデルにしたあの問題作が28年ぶりに電子書籍で復刊!)。また、「虚構の覇者」と「会長の野望」は、「新折伏鬼の野望」として復刻され、アマゾンkindle楽天koboで読むことができます。
 「折伏鬼」別冊文藝春秋143号(1978年3月)
 「虚構の覇者」書き下ろし 
 「会長の野望」オール読物(1980年11月)

 「折伏鬼」は、作者の分身といえる創価学会の元会員が、第2代会長・戸田城聖の実像を追うという構成になっています。作者は「入信が昭和38年で、40年には退転(脱会)したので、活動期間は3年弱」ということで、その経歴を物語の主人公にダブらせています。
 折伏(しゃくぶく)とは、相手を論破して正法に導くことを指す仏教用語で、穏やかに説得する摂受(しょうじゅ)とは対極にあります。戸田城聖が会長だった頃の創価学会の折伏大行進という布教活動は、攻撃的暴力的なものであり社会問題ともなっていました。この作品のタイトルである折伏鬼は戸田城聖を指すものと思われます。作中には、創価学会関係者をモデルにした人物が登場します。モデルとされた人物と作中人物の関係は次のようになるものと思われます。作中登場人物の主な出来事を年代順にまとめると次のようになります。作中の展開と実際の出来事はおおむね一致しています。
 聖護道会→創価学会
 山口利三郎→牧口常三郎
 多田皓聖→戸田城聖
 河田大介→池田大作
 椎原カネ→柏原ヤス
 石原敏男→石田次男
 金泉清→小泉隆
 中島晃助→原島宏治 
1900/2/11 戸田城聖生まれる(多田皓聖は1904年2月生まれという設定) 
1930/11/18 創価教育学会設立(牧口常三郎・初代会長、戸田・理事長)
1940/3/25 志茂田景樹生まれる 
1943/7/6  牧口会長、戸田理事長ら学会幹部、治安維持法、不敬罪容疑で逮捕、投獄 
1944/11/18 牧口会長、東京拘置所で死去
1945/7/3  戸田理事長、出獄 
1946/3  「創価教育学会」を「創価学会」と改称 
1950/11  多田理事長解任 
1951/5/3  戸田城聖が2代会長に就任 
1952/4/28 狸祭り事件 
1953夏  主人公が中野公会堂で多田皓聖(戸田城聖)と出会う 
1954/3  河田大介(池田大作)が参謀室長に就任 
1958/4/2  戸田城聖死去 
1960/5/3  河田大介(池田大作)が3代会長に就任 
1963/2  主人公が聖護道会(創価学会)に入信 
 物語は、1953年夏、主人公と多田皓聖の出会いから始まります。中学生だった主人公は、道で見知らぬ中年女性に声をかけられ、中野公会堂で開かれていた聖護道会の講演会に連れて行かれます。そのときの多田皓聖の印象を次のように述べています(13〜16ページ)。 
 多田皓聖が演壇に立ったのは、ひっつめ髪の女の話がおわり、ついで立った、見かけは小学校の教領といった感じなのに、やはり興奮したようにしゃべる白髪まじりの男のあとである。彼は左右にくねくねと数度、首をまげてみせてから、椅子から立つと、にやにや笑いながら演壇に歩いた。あい変らず人を喰ったその様子が、わたしにはたいへん瓢逸に見えたが、照明のあかるい演壇に立つと、丸縁の眼鏡をかけたその顔はただでさえとぼけている。はげたような眉、はれぼったい出目、その眉と目の間隔が離れすぎていて、眉は眼鏡のだいぶ上にある。ちょぼちょぼと髭を生やし、耳がぴんと立っていた。
 奇相の部類に入るこの顔が、その前のぶたりのように感情を高ぶらせた、どなりつけるようなしゃべり方をするとこっけいだなとわたしは思ったが、そうではなかった。
「このなかで、あした食べるパンもないというのはいるか、ええっ」
 開口一番、いや、その前に演壇の水差しの水をがぶりと飲んでワイシャツの袖で口を拭ったのだけれど、彼は指で眼鏡をちょっとずりざげるような仕種をして、会場を見まわした。
「みんな功徳をもらいすぎてお大尽になっちゃったのかな。そんなはずはないよな。こうして、ここから見てたって、気息えんえんて感じのがうようよいる。遠慮しねえで、ほれ、手をあげてみなったら」
 伝法に言い、うゥん、と奇声を発して、あごを突きあげる。ハイ、ハイ、と間をおいてあちこちで無理に元気よく発声した感じの返事がして、手があがった。わたしのすぐ右手のほうでも、釣られたように遠慮がちに手があがり、見ると、この蒸し風呂顔負けの暑さのなかでくたくたのジャンパーを着た中年の男である。
「ほう、あがったか、ふーむ」
 多田はうれしそうに手のあがったところへひょいひょいと顔をむけて、深く何度もうなずくと、わかった、と大声をはりあげた。
「手をあげた諸君に約束しよう、この多田皓聖が1ヵ月後に諸君をみな生活苦から解放してあげる。ポケットにはいつも千円札がいっぱいあって、後楽園にいけて、飲み屋のハシゴができて、アルサロヘもいけて女給にチップをはずむことができる境涯にしてあげよう。この多田が確約する。ただし、だ……」    
 ただし、だ、と言うところで、彼は、わかった、といったとき以上に声を強めて、
「わしが請けあったからといって、一ヵ月ただ安心して待っていちゃこまる。あす、いやさっそく今夜からだな、諸君は一日ひとりを折伏することと三時間の題目をあげることをわしに約束」てくれ。働いている時間以外は折伏と唱題にあてる。わかるな、これを一ヵ月やりきれば、かならずわしの言ったようになる。多田はウソは言わん」
 ここまで一気にしゃべると、彼は胸をそらせ、大きな咳ばらいをひとつして続けた。
「あす食べる米もない諸君は、折伏にいく電車賃も当然おしかろう。金は折伏する相手に借りるんだ。必死に折伏すれば、相手は信心しなくても金は貸すよ」
 人々がいっせいに雪崩をうったように笑いだした。わたしは多田皓聖が演壇に立ってからなんとはなしに会場の空気がなごんできて、人々が彼の一言一句をたいへん素直に受け入れているのを感じていた。そうして、わたし自身も意味はよくわからないままに、彼のことばを構えることなしに聞くようになっていたし、人々が笑い出したときもいっしょになって笑いたかったほどである。
 彼は人々が笑いやむころあいをはかっていたのか、いきなりのびあがって、
「いまの諸君のなかで、折伏することが苦痛でたまらんという者はいるか?」
 と、訊いた。
 すると、例のジャンパーの男がそのことばに釣りあげられたとでもいうふうに、するっと立ちあがった。
「ほう、あんたか。あんなたのしいことがなんで苦痛なんだい?」
「はあ、折伏は一生懸命してるんですが、ちっとも相手が聞いてくれません」
「どうしてなんだ?」
「信心すればなんでも願いがかなう、生活が楽になる、病気が治るというけれど、そういうおまえはどうなんだ、と相手はいつも言うのです。おまえが金持ちになったら信心してやってもいい、と」
「おう、そういう野郎には」
 と、多田はここで会場の人々をぐるりとにらみわたして、かすれた声(大声を出しそこねた結果らしい)を張りあげた。
「いま貧乏だから、いま病気をしているから信心したんだ、と胸を張って答えろ!」
 そのあと、彼はかなり長い時間、くだけた独得の口調で比喩と手ぶりを多く用いてしゃべりまくったが、その間、わたしは魅せられたようにぽかんと口をあけ、彼の顔を見続けていたのだった。はじめて耳にすることばがやたらに出てきて、話の内容はほとんど理解できなかったけれど、どこかその語り口は、そのころ、わたしが毎年たのしみにしていた地元神社の秋祭りの宵宮で、えたいの知れない塗り薬を売っていた香具師のそれをほうふつとさせるものがあった。
 その後、多田皓聖がなくなり、河田大介が3代会長に就任しますが、大学生になった主人公が聖護道会に入るのはその後です。入信した主人公は、中野公会堂での出会いの前年に、多田皓聖が狸祭りという暴行事件を起こしていることを知ります。その狸祭りとは、総本山大石寺で、多田皓聖が青年部員を動員して、80歳の老僧に殴る蹴るの暴行を加えたというものです。この事件を知った時の印象を、主人公は次のように述べています。
 以上が、彼の語った、狸坊主と侮蔑して呼んだO僧を神輿のようにかつぎあげて境内を練ったことから狸祭りと後に通称された事件のあらましであった。わたしは聞きおわらないうちから、このリンチといってよい、どうやら事前に用意周到な準備がなされていた暴力事件のなかで、率先、指揮にあたっていた多田皓聖がとった言動のすべてに、はげしい拒絶反応を起こす一方で、これはどういうことなのだろうと首をひねった。このなかの多田の人柄は、粗暴であり、冷酷であり、執念深くて、どうしてもわたしの知っている瓢逸な親父という像とは重ならないからである。 
 そこで、主人公は、狸祭りから中野公会堂での出会いまでの間に、別人のように人が変わってしまったと考え、何が原因になったのか、その謎解きに挑むことになります。いろいろと訪ね歩くうちに、ある古参の会員から重要な情報を得ることになります。
 そして、ここからは、ネタばらしになるので、あまり詳しく書けませんが、以前の闘争的な多田皓聖が、病魔に冒され、権力闘争にも疲れ、一種の諦観を持つに至ったのではないかと結論付けているようです。
 ただ、多田皓聖が、戦後、なぜ宗教ではなく事業に専心したのか、そして、その事業に失敗し、理事長を解任されたにもかかわらず、それからまもなく会長に就任できたのはどうしてなのか、などなおも謎は残ります。
 その謎を解く手がかりを得るのは、聖護道会を脱会し10年以上たって、フリーのレポーターになってからのことです。 
  「虚構の覇者」は、暁出版(潮出版?)社員の尾形克也という青年が主人公で、「新世紀の祭典」(平和文化祭?)のリハーサルと本番の様子を通して、国内での組織の停滞を打破するため、海外布教に乗り出す聖護道会(創価学会)の姿を伝えています。
 「会長の野望」は、聖護道会の元中堅幹部が主人公で、河田大介を謗法者(仏の教えに背く者)と見て、その仮面を暴こうと、学会内部の権力闘争、言論妨害事件、宗門との対立お裏に込められた真の狙いを探る姿が描かれています。