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 宮司による猛烈な皇国史観・国定教科書批判 
 2014/3/31
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編・著者  嵯峨敞全(さが・ひろなり)/著
出版社  かもがわ出版
出版年月  1993/1/15
ページ数  273 
判型  A5判
税別定価  1942円

 1924年生まれ(出版当時で70歳近かったことになります)の上野東照宮宮司(当時)による猛烈な皇国史観・国定教科書批判です。著者は故人のようです(上野東照宮の「ヒロシマ・ナガサキの火」碑)。
 宮司さんが皇国史観を批判するのは意外な感じもしますが、東照宮は徳川家康を祀っているのであって、そこの宮司だからといって、天照神話に基づく天皇崇拝を無条件に肯定するというわけでもないでしょう。
 そんな著者は、維新政府について次のように述べています(5ページ)。
 贋の錦旗(天皇)を押したてて討幕に成功した薩長土肥の下級武士集団は有頂天になりました。まさか、天皇の錦旗が、これ程権威があると思ってもいなかったに違いありません。だから高杉晋作も伊藤博文も、木戸孝允も山県有朋も、井上馨も彼等の先生である吉田松陰が言う「皇朝は万世一統」をいまさらのように信じるようにだったのです。松陰先生の教えを実行したから名誉と地位と財産を獲得できたと思うにつけて、先生の「士規七則」を押し広めていかなければならないと思うようになるのです。「人に五倫あり、而して君臣を最も大と為す。……凡そ皇国に生る々もの、宜しく吾が宇内に尊き所以を知るべし。蓋し皇朝は万世一統にして、邦国の士夫、禄位を世襲し、人君は民を養って以て祖業を継ぎ、臣民は君に忠にして以て父の志を継ぐ。君臣一体・忠孝一致、ただ吾が国を然りと為す。士道は義より大なるは莫く、義は勇によりて行はれ……死して後已むの四字……堅忍にして果決……是れをおきて術無きなり」こんな書物に感動する勤皇の志士に政治を担当させてしまったことが、そもそも誤りだったのでしょう。
 天皇については次のように述べています(7〜8ページ)。「死んだ昭和天皇は、まだカワイイところがありました」とまで言って、右翼に脅されることはなかったのでしょうか。
 自分の意志で銃を握ったのは、陸軍・海軍両大学、陸軍士官学校、海軍兵学校など軍関係学校出身の職業軍人たちだったのです。彼等こそ、こぞって戦争の責任を負うべきだったのです。自由民主党元総裁中曽根康弘も職業軍人だったのです。戦争に対する何の反省もなく軍備増強の先頭に立って活躍していたのです。これを思うと、死んだ昭和天皇は、まだカワイイところがありました。
 彼は終戦の翌年、一九四六年正月に「新日本建設に関する詔書」で、いわゆる「人間宣言」をしたのでした。おそらく、自分の側近や政府にすすめられるまでもなく、多くの人たちを殺した罪にさいなまれていたに違いなく、責任を感じてのメッツセージであったのでしょう。これは、天皇と国との関係や、天皇と庶民との関係を天皇自身充分に知っていたということの証明としても重要なものです。
 「……朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ終始相互ノ信頼卜敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族二優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念二基クモノニモ非ズ。……」
 多少、批判すべき余地はあるのですが、皇国史観の精神を、天皇自ら覆したことは評価されるべきです。
 著者は、このように戦前の天皇制絶対主義を徹底的に批判する立場であり、国定教科書の記述を紹介することを通じて、皇国史観が子供たちの心の中に埋め込まれて行く過程を検証しています。
 ただ、子供が読む国定教科書といっても、戦前の教科書なので古文調で書かれているものもあり、日ごろ古文や漢文に親しむことのない私たちには結構難解なものとなっています。