パソコン / ハードウェア
 アイフォンはアップルの救世主、だが……  

(1)アップルvsマイクロソフト、熱いバトル   

 2011年にアップル社の創業者であるスティーブ・ジョブズが亡くなりましたが、ニコニコ生放送が企画した追悼番組(次のyoutube動画)で、脳科学者・茂木健一郎氏の発言に、アスキー創始者で元マイクロソフト副社長の西和彦氏が激怒し、激しく言い争ったことが話題となりました(元マイクロソフト副社長が茂木健一郎氏にブチ切れ! 生放送中の番組で「バカヤロー!」)。
 茂木氏の発言は、「MS-DOSもWindowsも大嫌い。人間の脳からすると、アルゴリズムの良し悪しではなく、エクスペリエンス全体がコンピューティングだ。Windowsのユーザーインターフェイスが悪い」というものです。
 西氏は、それに対し反論するのではなく、「気分悪いこというな。なんだ! その言い方は。自分で作ったこともないクセに生意気なことを言うなよ!」と怒りをぶちまけています。動画を見る限りでは、スティーブ・ジョブズ追悼の場で、Windows批判を持ち出したということに対し腹を立てているようです。 

 茂木氏の発言は、定義が曖昧な「アルゴリズム」「エクスペリエンス」「ユーザーインターフェイス」などのカタカナ語を多用していて分かりにくいですが、「ユーザーにとっては、プログラム自体の優劣ではなく、見た目の良さや使いやすさが大事で、スティーブ・ジョブズはそのことを良く理解していた」という趣旨でしょうか。
 これに対し、西氏は感情的に反発したようですが、ネット上では「自社の製品を悪く言われて黙っていられなかったのだろう」という声もあるようです。元マイクロソフト副社長という肩書きから、そんな推測が生まれたようですが、西氏が
Windowsの開発に携わったのかどうかについては疑問もあります。

西氏はWindowsの開発に携わったのか  
 ネット上に散在する情報を元に、西氏とマイクロソフト社の関係を推察すると次のようになります。
 西氏がビル・ゲイツ氏が出会った1978年ごろ、マイクロソフト社は、BASICインタプリタを開発しており、アスキー社の西氏は、それを日本で販売する担当窓口となり副社長としてマイクロソフト社に籍を置いた。さらに、西氏は、マイクロソフト社のBASICを元に、ゲーム用パソコン規格であるMSXを立案し推進した(【MSX】ホビーパソコン?ゲームパソコン?多くの人がいまだ愛して止まない、一時代を築いたパソコン規格「MSX」とは。 - Middle Edge(ミドルエッジ)ビル・ゲイツ大激怒!? マイクロソフト側から見たMSXの物語:MSX31周年)。一方、マイクロソフト社は、オペレーティングシステムやオフィスソフトの開発など本格的ソフトウェアメーカーへとシフトしており、1985年からWindowsの開発を始め、1986年に最終的に西氏との関係を清算し、独自の日本法人を設立した(なお、 ホリエモンチャンネルで西氏自身はこの経緯を「喧嘩別れ」と述べています)。マイクロソフト社は、その後Windowsの改良を重ね、1995年に発売したWindows95の成功で、PCオペレーティングシステム市場をほぼ独占する巨大企業へと急成長した。 
 つまり、Windowsの本格的開発が始まったのは、西氏とマイクロソフト社の関係が清算された後ですから、西氏はWindowsの開発には携わっていないことになります。したがって、「自社の製品を悪く言われた」わけではありません。茂木氏のWindows批判に対して、なぜあれほど激昂したのかどうも腑に落ちません。 
 上記の「推察」で参考にしたネット情報には次のようなものがあります。

 ASCII.jpデジタル用語辞典によると、西氏は1978年「マイクロソフトと提携し、極東代理店としてアスキーマイクロソフトが設立されると、極東担当副社長に就任」するが、1986年「ハードウェア事業を巡ってビル・ゲイツ氏と衝突、マイクロソフトとの提携を解消した」とありますから、1978年から8年間マイクロソフト社副社長だったことになります。ただし、「マイクロソフト副社長となってからも、西がまずアスキーの西であり続けたことは、2人のあいだに溝を残し続けた」「重要な契約は結んでいても、マイクロソフトとアスキーには資本関係はなかった。ゲイツは西にマイクロソフトの副社長というポジションを提供していたが、給料は支払っていなかった」(西和彦とビル・ゲイツの別れ - パソコン創世記)ということですから、「副社長」といっても派遣役員的な感じもします。
 一方、Weblio 辞書によると、「1978年10月、マイクロソフトの極東代理店としてアスキーマイクロソフトが設立される。1979年、マイクロソフトの極東担当副社長に就任。1980年、マイクロソフトの取締役新技術担当副社長に就任」ということです。
 また、オーナー経営の死角(後編) / SAFETY JAPAN [特集] / 日経BP社によると、1986年「マイクロソフトが、アスキーに買収を持ち掛け、実質的なオーナーである西は拒否した。マイクロソフトは提携を解消。独自に日本法人を設立する方針に切り替えた。この時、古川以下、20人弱の社員がアスキーを去った」ということです。
 【ベンチャー三国志】vol.13 天才西和彦、パソコンブームを巻き起こす/デジタルドメイン社長 西和彦によると、「マイクロソフトBASICの東アジア市場における独占販売権をアスキーに与えるという契約」で、アスキーは「マイクロソフトの代理店として日本でBASICを売る」ということだったようですが、両社の提唱した規格によるMSXパソコンが発売されていますから、アスキーは単なる販売代理店というわけでもなかったようです。
 MSXとは (エムエスエックスとは) [単語記事] - ニコニコ大百科によると、 MSXは、「TVに接続できる低価格のパソコンとして、マイクロソフトとアスキーが提唱した規格」で「最も多かった用途はゲームソフトの提供」だったということです。
 マイクロソフトの歴史 - Wikipedia翻訳なので少し分かりにくいです)によると、マイクロソフトは、1975年、アルバカーキでビル・ゲイツ氏とポール・アレン氏によって設立され、当初は、BASICインタプリタを開発していました。1980年ごろから、オペレーティングシステムの開発を手がけるようになり、Wordなどのオフィスソフトの開発も始めています。1981年に発売されたIBM社製のパーソナルコンピュータのオペレーティングシステム(PC-DOS、MS-DOS)の開発を受注したことが、ソフトウェアメーカーとしての発展のきっかけとなります。1985年には、MS-DOSのグラフィックを拡張し、Windowsの最初のバージョンを発売します。1986年に株式を公開( 1986年のマイクロソフトIPO時に37.8万円でマイクロソフト株を100株買っていたら・・・!?)、1990年にはWindows 3.0を発売、1992年にWindows 3.1を発売します。このころ、Microsoft Officeでも成功を収め、ソフトウェアメーカーとして不動の地位を占めることになります。1995年に発売したWindows95の成功によって、PCオペレーティングシステム市場では、ほぼ独占的地位を占めるようになっています。 

2017/5/4